ねじの歴史|ねじの標準化の歴史

ねじの歴史

イギリスで産業革命がおこるとねじの発展が世界中で起こる。イギリスのウィットねじ、アメリカのアメリカなねじ、ドイツ、フランス、スイスのメートルねじがその代表であるが、利便性から規格統一の機運が生まれる。国際規格ISOがその代表であるが、1965年、日本のJISもISOを採用することになった。

1500年台 レオナルド・ダ・ヴィンチ

1500年ごろ、レオナルド・ダ・ヴィンチは、ねじ切りをする機械を構想していたことが知られている。幅の広いテーブルの上に刃物台があり、ねじを切るべき工作物はクランクで回転する主軸に直結されているという仕組みである。実際にねじが製造されていたのかは不明である。

1800年ヘンリー・モズレー

イギリスのヘンリー・モズレーは、金属製のシャーシでできたねじ切旋盤を開発する。これは現在の旋盤の原型ともなっており、工学に大きな進展をもたらした。産業革命を支える大量生産が可能となる。

1841年 ウィットねじ

ウィットねじは、ヘンリー・モズレーの師であるジョゼフ・ウイットウォースによって提唱された。ウイットねじ体系は、ねじ山の形状、外径とピッチの組み合わせの始まりとして画期的なものであった。イギリスの産業革命をうけ、機械で金属ねじを実用的に切る考案を行い、ねじの精度や生産能率を高めた。ジョゼフ・ウイットウォースは当時流通していたねじを調べ、それを規格化させることで、イギリスの工学を発展させ、イギリスの機械は世界各国に輸出されるようになり、国際的なねじの先進的な取り組みであった。このねじは1800年台の徳川幕府も採用し、明治維新にまで使われた。。

1864年 アメリカねじ

1864年、イギリスの後を追うようにアメリカのウイリアム・セラースがウイットねじを改良する形で山の角度を60°にしたセーラスねじを提唱した。フランクリン学会にセラースねじは、アメリカねじの前身となり、アメリカ規格に採用された。

1894年 メートルねじ

イギリス、アメリカに続き、フランスではSFねじが提唱された。その約4年後、チューリッヒにて、ドイツ・フランス・スイスがSIねじ(System of International Meetric Screw Thread)を定めた。

1898年 SIねじ

1898年、フランス、スイス、ドイツの代表がチューリッヒにてSIねじが設定された。

1945年 ユニファイねじ

第一次世界大戦にて、ウィットねじ(イギリス)、アメリカねじ(アメリカ)、フランス(メートルねじ)とそれぞれのねじの規格が異なることから、大きな問題となった。第二次世界大戦が始まると、規格統一の気運が高まり、アメリカ、イギリス、カナダの三国により協定が行われ、ユニファイねじが生まれる。

1949年 JISねじ

1949年6月1日、日本工業標準化法が交付され、日本工業規格(JIS)がうまれた。

1954年 ISOねじ

1947年、ISO(国際標準化機構)(International Organization for Standardization)がわずか26か国で発足、日本は1952年加入、現在では世界の163ヵ国が参加する。専門委員会は、ISO/TC2(ねじ)、ISO/TC2(締結用部品)をなど、標準化の議論が進んでいる。ねじにおいても、メートルねじ・インチねじともにISOメートルねじへの一本化と進んでいる。

1965年 JISによるISOねじの採用

1965年、インチ系ねじとメートル系ねじとが混在していた日本において、メートルねじへの一本化を目指し、ISOメートルねじを導入した。