遺伝子
遺伝子とは、生物の形や性質(形質)を親から子へ伝える情報の単位である。実体の多くはDNAの塩基配列で、どのタンパク質をいつ、どれだけ作るかという指示がそこに書き込まれている。ヒトの場合、約30億塩基対のゲノムのなかに、タンパク質を作る遺伝子がおよそ2万個ある。医療や農業だけでなく、酵素製剤や医薬品の製造でも欠かせない概念になっている。
概念が生まれるまでの約100年
始まりは1865年、修道士メンデルがエンドウの交配実験の結果を発表したことである。メンデルは、形質を決める「要素」が対になって親から子へ受け継がれると考えた。今日メンデルの法則と呼ばれるこの研究は長く注目されず、1900年に3人の研究者がそれぞれ再発見してようやく評価された。1909年にはデンマークのヨハンセンが「gene」という言葉を提案し、ここで「遺伝子」という用語が生まれる。ただし、当時は物質としての正体がまだわかっていなかった。1944年、エイブリーらが肺炎双球菌の実験で遺伝情報を運ぶのはDNAであることを示し、1953年にワトソンとクリックが二重らせん構造を提唱した。抽象的な概念が分子として説明できるようになるまで、約90年かかったことになる。
DNA上での姿
DNAはA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4種類の塩基が並んだ鎖である。3塩基の組み合わせを「コドン」と呼び、43=64通りのコドンが20種類のアミノ酸と終止の合図に割り当てられている。遺伝子の上流には転写の開始位置を決めるプロモーターがあり、真核生物ではタンパク質の情報を持つエキソンの間に、情報を持たないイントロンが挟まっている。こうした構造は生物のグループによってかなり違う。
| 項目 | 原核生物(細菌など) | 真核生物(動植物・酵母など) |
|---|---|---|
| イントロン | ほぼない | 多くの遺伝子に存在する |
| 転写と翻訳の場所 | 細胞質で同時に進む | 転写は核内、翻訳は細胞質 |
| ゲノム中の遺伝子密度 | 高い(ゲノムの約90%がコード領域) | 低い(ヒトでは約1.5%) |
| 代表例 | 大腸菌(約4,300遺伝子) | 出芽酵母(約6,000遺伝子) |
情報が働くしくみ
DNAの情報は、そのままでは働かない。まずDNAの一部がRNAに写し取られ(転写)、そのmRNAをリボソームが読んでアミノ酸をつなぎ、タンパク質が作られる(翻訳)。1958年にクリックが「セントラルドグマ」と名付けたこの流れは、細菌からヒトまで共通している。例外もある。レトロウイルスは逆転写酵素を使い、RNAからDNAを作り出す。
発現の調節
すべての遺伝子が常に働いているわけではない。1961年、ジャコブとモノーは大腸菌のラクトースオペロンを例に、糖があるときだけ分解酵素の遺伝子がオンになるしくみを示した。ヒトの肝臓の細胞と神経の細胞が同じゲノムを持ちながら役割が違うのも、この調節によるものである。
ヒトゲノムに含まれる数
国際共同のヒトゲノム計画は1990年に始まり、2003年に解読完了が宣言された。費用は約30億ドルとされる。計画の前には「ヒトの遺伝子は10万個ほど」という予想が多かったが、実際に見つかったタンパク質コード遺伝子は約2万個で、線虫(約2万個)とほとんど変わらなかった。数の多さより、1つの遺伝子から複数のタンパク質を作る選択的スプライシングや、発現の調節の複雑さが生物の違いを生んでいると考えられている。なお、反復配列などで読めずに残っていた約8%の領域も、2022年にT2Tコンソーシアムが解読した。いまでは1人分の全ゲノム解析は数日、費用は数万〜十数万円で済む。
変異と個人差
塩基配列が書き換わることを突然変異という。紫外線や化学物質、複製時のミスが原因になる。ヒト同士のゲノムは約99.9%が同じで、残りの0.1%に1塩基だけが違う一塩基多型(SNP)などが含まれる。この小さな違いが、薬の効きやすさや体質の個人差につながる。生物の進化の材料という意味では、変異は害だけのものではない。
製造現場での利用
他の生物の遺伝子を微生物に組み込んで有用な物質を作らせる技術は、バイオテクノロジー産業の中心である。1982年、大腸菌に作らせたヒトインスリンが世界で初めて医薬品として承認された。現在、組換え技術で量産されている主な製品は次のとおりである。
- ヒトインスリン、成長ホルモンなどのたんぱく質医薬品
- CHO細胞(チャイニーズハムスター卵巣細胞)で作る抗体医薬
- 洗剤用プロテアーゼ、アミラーゼなどの工業用酵素
- チーズ製造に使うキモシン(レンネットの代替)
- アミノ酸や核酸系調味料の生産菌
実務の話をすると、目的の遺伝子は今ではクローニングより受託合成で入手するのが普通で、1,000塩基程度なら2〜3週間で届く。発注時に宿主に合わせて「コドン最適化」を指定しておくと、大腸菌や酵母での発現量が数倍変わることもある。もう1つ見落とされやすいのがスケールアップである。フラスコで37℃の培養がうまくいっても、数十キロリットルの発酵タンクでは溶存酸素や発熱の管理が難しくなり、生産性が下がる例は珍しくない。
PCRと温度条件
特定の遺伝子を増やすPCRは、94〜98℃での二本鎖の分離、50〜65℃でのプライマー結合、72℃での伸長を繰り返す。1サイクルで量が2倍になるので、30サイクルでは理論上230≒約10億倍になる。検査を受託する現場では、増幅産物によるコンタミネーションを防ぐため、試薬調製室と増幅室を物理的に分ける運用が一般的である。
法規制と取り扱いの区分
日本では遺伝子組換え生物の扱いを「カルタヘナ法」(2003年公布、2004年施行)が定めている。閉じた施設で使う「第二種使用」では、研究ならP1〜P4、大量培養ならGILSPやLS1などの拡散防止措置が求められる。染色体に外来の遺伝子を組み込んだ生産菌を工場で使う場合は、省令で措置が定まっていなければ主務大臣の確認が必要になる。設備投資の計画段階で区分を確認しておかないと、稼働開始が数か月遅れることもある。
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