特定化学物質
特定化学物質は、労働安全衛生法にもとづく特定化学物質障害予防規則(特化則、昭和47年労働省令第39号)で定められた化学物質の総称である。がんや皮膚炎、神経障害などの慢性的な健康障害を起こすおそれのある物質と、大量に漏れたときに急性中毒を起こす物質が対象になる。毒性や使われ方に応じて第1類から第3類に分けられ、類ごとに設備、作業管理、測定、健康診断の義務が細かく決められている。化学工場だけでなく、めっき、塗装、溶接、樹脂成形など、製造業の多くの現場が規制の対象となる。
規制が生まれた背景
1960年代の日本では、染料工場でベンジジンを扱った労働者に膀胱がんが多く見つかり、クロム酸塩の製造工場では肺がんが相次いだ。こうした職業がんの問題を受けて、1971年に旧労働基準法の下で特定化学物質等障害予防規則がつくられた。翌1972年に労働安全衛生法が施行されると、同法にもとづく省令として改めて制定されている。その後も対象物質は少しずつ増えた。2012年にはインジウム化合物、2015年にはリフラクトリーセラミックファイバーが追加された。2021年4月には溶接ヒュームと塩基性酸化マンガンが第2類に加わり、アーク溶接を行う多くの中小工場が新たに規制の対象となった。
第1類・第2類・第3類の区分
区分は、物質の有害性と、どのような災害を想定するかによって決まる。第1類と第2類は長期間さらされることで起きる慢性障害を、第3類は設備の故障や誤操作による大量漏洩を、それぞれ主に想定している。
| 区分 | 想定する障害 | 代表的な物質 | 主な規制 |
|---|---|---|---|
| 第1類(7物質) | がんなどの重い慢性障害 | ジクロルベンジジン、ポリ塩化ビフェニル、ベリリウム | 製造には厚生労働大臣の許可が必要(安衛法第56条)、密閉設備 |
| 第2類(約60物質) | 慢性障害 | ベンゼン、クロム酸、塩化ビニル、溶接ヒューム | 発散抑制装置、作業環境測定、健康診断 |
| 第3類(8物質) | 大量漏洩による急性中毒 | アンモニア、一酸化炭素、塩化水素、硫酸 | 漏洩防止の設備と措置 |
特別管理物質と特別有機溶剤
第1類と第2類のうち、人にがんを起こすおそれがあるものは「特別管理物質」とされる。ベンゼンや塩化ビニルなどがこれにあたり、作業の記録、測定結果、健康診断の結果を30年間保存しなければならない。がんは発症までに10年以上かかることが多いためである。2014年からは、エチルベンゼン、1,2-ジクロロプロパン、クロロホルムなどが「特別有機溶剤」として第2類に移された。これらは有機溶剤中毒予防規則の考え方も準用されるので、扱いには注意がいる。
設備と作業管理の要点
第2類物質を扱う作業場では、密閉設備、局所排気装置、プッシュプル型換気装置のどれかを設けることが原則である。外付け式フードの局所排気装置では、フードの外側で必要とされる風の速さ(制御風速)が決められており、ガス状の物質で毎秒0.5m、粒子状の物質で毎秒1.0mとなっている。設置した装置は1年以内ごとに1回、定期自主検査を行い、記録を3年間残す。作業の現場では、技能講習を修了した特定化学物質作業主任者を選び、換気装置の点検や防毒マスクの使い方の確認にあたらせる。
作業環境測定と健康診断
第1類と第2類の物質を扱う屋内作業場では、6か月以内ごとに1回、作業環境測定を行う。結果は第1管理区分から第3管理区分に評価される。2024年4月からは、第3管理区分と判定された事業場に、外部の専門家による改善の意見を聞くことが義務づけられた。労働者には次の時期に特殊健康診断を行う。
- 雇入れのとき
- その業務へ配置替えをするとき
- その後6か月以内ごとに1回の定期
- 過去に特別管理物質を扱い、現在は別の業務についている者(配置転換後の健康診断)
製造現場での運用の実際
中小の金属加工工場で話題になりやすいのが、溶接ヒュームへの対応である。屋内でアーク溶接を続ける作業場は、個人ばく露測定でマンガン濃度を測り、その結果をもとに呼吸用保護具を選ぶ。フィットテストは1年以内ごとに1回必要である。局所排気装置を新しく設けると、ダクト工事を含めて1ラインあたり数十万円から数百万円かかることも珍しくない。そのため、まずは代替物質に切り替えられないかを検討する事業者が多い。たとえば洗浄工程でジクロロメタンを水系洗浄剤に変えれば、測定や健康診断の負担そのものを減らせる。ただし、代わりの物質が別の規則の対象になっていないかは、安全データシート(SDS)で必ず確かめておく必要がある。
自律的な管理への移行
2022年5月に公布された改正省令により、日本の化学物質規制は、物質ごとに個別の規則で縛る方式から、事業者がリスクアセスメントの結果にもとづいて自ら対策を選ぶ方式へと移りつつある。2024年4月からは化学物質管理者の選任が義務になった。作業環境測定の結果が良好な事業場では、労働基準監督署長の認定を受ければ、特化則の個別の規定の一部が適用されなくなる。それでも特定化学物質の区分と基本的な義務はそのまま残っており、現場の管理の土台であることに変わりはない。
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