救貧法|国家が救貧を制度化

救貧法

イングランドにおける救貧法は、中世末の慈善慣行から発し、16世紀末の国家制度として確立し、19世紀の改革を経て近代的な社会政策へと継承された制度である。とくに1601年のエリザベス救貧法と1834年の新救貧法(New Poor Law)は二大転機であり、共同体相互扶助から行政的貧民統制への移行を示す。救貧税(poor rate)の賦課、教区(parish)単位の監督、就労能力の有無に応じた屋内救済・屋外救済の区別、労役所・救貧院の運用などは、イングランド社会の人口移動や農村の変容、都市の賃労働化に緊密に結びついた。

起源と背景

中世の慈善は修道院・ギルド・施療院を中心とする私的救済であったが、宗教改革と修道院解散により支柱が失われ、放浪と物乞いが社会問題化した。テューダー期には労働規律法や浮浪者対策と並行して救貧法の骨格が整えられ、各教区に貧民監督官を置いて救貧税を徴し、居住地責任の原則(セトルメント)を通じて「誰をどこが扶助するか」を明確にした。この枠組みは囲い込みの進展や毛織物工業の拡大に伴う失業の増減に敏感に反応した。

エリザベス救貧法(1601)

1601年法は、(1)子ども・高齢者・障害者など不就労貧民への扶助、(2)就労可能貧民への雇用斡旋・労働施策、(3)教区財政に基づく救貧税、を体系化した。教区は衣食の配給・就労訓練・孤児の徒弟契約などを担い、移住抑制のための帰住命令も運用した。のちにイギリス議会政治の成熟と地方行政の発達が合わさり、教区は最末端の福利単位として機能した。

18世紀の運用と地域差

18世紀の救貧法は、農村部での屋外救済(在宅のまま現金・物資を給付)が広がり、穀物価格や景気循環に応じて支出が大きく変動した。工場制の進展前夜には家族賃金補填が常態化し、救貧税の負担は地主と農民の利害対立を生んだ。南部の穀倉地帯では補助賃金型、北部の工業地帯では雇用内救済や自助友愛組合が目立つなど、地理的差異も顕著であった。

スピーナムランド制度

1795年にバークシャーのスピーナムランドで始まった価格連動の賃金補填慣行は、パン価格に応じて家族規模別の最低所得を村が補助する仕組みで、急騰する食糧価格と低賃金に対処した。だが雇用者の賃金引下げ誘因、労働意欲の低下、教区間の負担の不均衡を招くとの批判が強まり、古典派経済学の観点からも市場賃金の歪曲として問題視された。

新救貧法(1834)と救貧院

1834年の新救貧法は、中央の救貧委員会を設け、複数教区を「連合」に編成し、救貧院(workhouse)中心の屋内救済へ軸足を移した。抑制原理(less eligibility)により、救貧院内の生活水準は最下層自立労働者より低く設計され、安易な屋外救済は原則廃止された。これにより財政は引き締まったが、家族分離や院内規律の苛酷さが社会的論争を招き、都市労働者や女性・児童の処遇が倫理・人権の観点から問われることとなった。

社会経済的影響

新体制は労働市場の統合と賃金の市場化を促し、慈善から制度的扶助への転換を完成させた。他方で、貧困の原因を個人規律に還元する傾向が強まり、景気後退や機械化による失業といった構造要因への対応は後景に退いた。やがて都市問題の深刻化とともに公衆衛生・教育・住宅など分野別の立法が進み、救貧法的枠組みは20世紀の社会保険・福祉国家へと段階的に置き換えられた。

政治と宗教の文脈

エリザベス1世期の宗教和解と国家統治の再編、17世紀の内乱とアルマダ戦争を含む対外危機、18世紀の穀物法・価格変動、19世紀初頭の古典派経済学の影響など、救貧法は変動する政治経済のなかで再解釈された。とくに治安判事は教区行政の要であり、秩序維持と福祉執行の交点に立った。

国際比較と影響

イングランドの経験は、スコットランドやアイルランド、さらに大陸諸国や英領植民地の救貧制度議論に影響を与えた。近代の社会改革者は、教区責任の線引きと抑制原理の功罪、屋内救済偏重の是非を検討し、労働者保護立法・友愛組合・相互扶助・公衆衛生の制度化へと踏み出した。都市商業の伸長やアムステルダムなど他地域の都市福祉の実践も比較材料となった。

関連項目(内部リンク)

用語解説

屋内救済・屋外救済

屋内救済は救貧院内で衣食住と労働を提供する方式、屋外救済は在宅のまま金品を給付する方式である。新救貧法では原則として屋内救済が奨励され、屋外救済は抑制された。

セトルメント(居住地責任)

居住証明・雇用関係・結婚などを根拠に「この人物はどの教区の住民か」を定め、当該教区が扶助責任を負った。これにより放浪者の移動は制限され、地域間の負担転嫁が問題化した。

抑制原理(less eligibility)

救貧院内の待遇は自立労働者の最低水準より低く設定すべきとする原理で、扶助の誘因を弱める狙いがあった。だが人道上の批判と効率性への疑義も絶えなかった。

年表

  • 1530年代 修道院解散と私的救済の後退
  • 1572年 初期テューダー救貧法の骨格成立
  • 1601年 エリザベス救貧法制定
  • 1795年 スピーナムランド制度開始
  • 1834年 新救貧法:救貧院中心へ再編
  • 19~20世紀 社会保険・公衆衛生立法へ移行