女性解放運動
女性解放運動は、社会・政治・経済・文化などあらゆる領域において女性に課せられた法的・社会的な差別を撤廃し、男女の平等な権利と機会を実現しようとする歴史的な運動である。近代以降の市民革命や産業革命により、形式的には法の下の平等が掲げられながらも、家父長制のもとで女性は参政権や教育、職業選択の自由から排除されていた。この矛盾への批判として、19世紀の女性参政権運動から20世紀後半のフェミニズム運動へと連続する長期の運動が展開し、家族・国家・市場のあり方を問い直してきた点に特徴がある。
歴史的背景
女性解放運動は、近代ヨーロッパの市民革命とともに広まった人権思想、個人主義、自由主義の文脈の中で生まれた。形式的には人間の自由・平等が宣言されながら、実際には「人間」の主体が成人男性市民に限定され、女性はその保護下に置かれる存在とみなされた。この矛盾は、労働者の権利を求める国際労働運動や農民運動と同様、既存の社会秩序の再編を求める動きとして理解できる。19世紀の産業化の進展により、多くの女性が工場労働に従事するようになると、労働条件の改善や賃金格差の問題も、女性の権利要求と深く結びついていった。
第1波フェミニズムと女性参政権
19世紀後半から20世紀前半にかけての第1波フェミニズムでは、財産権・教育権・参政権の獲得が中心課題となった。とりわけ女性参政権運動は、奴隷制廃止運動や平和運動と結びつきながら、女性を政治的主体として承認させることを目指した。各国では、請願やデモ、出版活動に加え、ときに実力行使を伴う運動が展開され、第一次世界大戦前後には多くの国で女性参政権が徐々に認められていく。この時期の運動は、後の世代が展開するより急進的な女性解放運動の基盤を築いたと評価される。
第2波フェミニズムと新しい女性解放運動
1960年代以降の第2波フェミニズムは、単に法的な平等にとどまらず、性役割や家庭内の権力関係、身体の自己決定権など、日常生活の深部にある不平等構造を問題にした。公民権運動や反戦運動、学生運動と連動し、性差別を支える慣習や言語表現、メディア表象に対する批判が強められた。避妊や中絶の権利、セクシュアル・ハラスメントやドメスティック・バイオレンスの告発、賃金格差是正などの要求は、第2波以降の女性解放運動の重要なテーマとして継承されている。
国際的諸運動との連関
女性解放運動は、平和運動や人道主義運動とも深く結びついている。戦争における負傷兵や民間人の救護をめぐる人道主義からは、デュナンによる国際赤十字や赤十字条約などの国際的枠組みが生まれ、看護活動に従事したナイティンゲールら女性の社会的役割拡大も促された。また、労働者の国際的連帯を掲げた第1インターナショナルや、労働者の祝祭日としてのメーデーは、男女を問わず労働者の権利を訴える場となり、家父長制と資本主義を同時に批判する運動の土壌を形成した。無政府主義者バクーニンらの思想も、権威への批判という点で女性の解放要求と共鳴する部分を持っていた。
文化・思想への影響
女性解放運動は、法律や制度のみならず、ことばや教育、国際文化交流にも影響を与えた。平等なコミュニケーションを志向する試みとしては、国際補助語エスペラントを創案したザメンホフに見られるように、民族や性別を超えた対話の可能性が追求された。近代オリンピズムのもとで開催される国際オリンピック大会も、当初は男性中心であったが、徐々に女性競技が拡大し、スポーツを通じたジェンダー平等の象徴となった。植民地社会における女性運動は、先住民指導者カシケなど地域固有の権力構造と絡み合いながら展開し、民族的解放と性別による解放の交差という課題を提示した。
日本における女性解放運動
日本では、明治期の近代化の中で女子教育の拡大や職業婦人の登場がみられ、大正期には雑誌やサークル活動を通じて女性の自我や恋愛の自由を主張する動きが生まれた。戦後は新憲法により男女平等や女性参政権が明記され、法制度上は大きな前進があったが、家制度に由来する慣習や企業社会における性別役割分業は根強く残った。1970年代以降にはウーマン・リブなどの運動が現れ、家父長制を批判するとともに、性や身体に関するタブーへの挑戦が行われるなど、日本独自の女性解放運動が展開した。
現代の課題
今日においても、賃金格差、非正規雇用への偏在、政治分野における女性代表の少なさ、性暴力や差別的言動の問題など、女性解放運動が取り組むべき課題は多い。また、人種・階級・性的指向・障害の有無といった要素と性差別が複雑に交差する現実を踏まえ、単一の「女性」像を前提としない多様な主体の解放を目指す立場も重要となっている。歴史的に形成されてきた家族観や労働観、国家と個人の関係を批判的に問い直すことを通じて、女性解放運動は今なお社会変革を促す運動として位置づけられている。