エスペラント|国際補助語としての平和のことば

エスペラント

エスペラントは、ポーランド出身の眼科医ルドヴィコ・ザメンホフが19世紀末に構想した人工言語である。民族や国家の違いを越えて、誰にとっても学びやすく中立的な「第二言語」となることを目標に作られた。語彙の多くはヨーロッパ諸語に由来するが、文法は極端なまでに単純化され、規則的な活用と表記が特徴である。国際会議や文学、インターネット上の交流などで現在も使用されており、自然言語とは異なる角度から言語と社会の関係を考えさせる存在となっている。

成立の背景

エスペラントが構想された19世紀後半のヨーロッパは、民族主義と帝国主義が進展し、多言語が交錯する地域では対立や差別が深刻化していた。ザメンホフが少年時代を過ごしたビャウィストクの街も、ポーランド人、ロシア人、ユダヤ人、ドイツ人が共存しつつ、言語や宗教を理由とした対立が絶えなかったとされる。この状況は、同時代の思想家ニーチェが批判したヨーロッパ文明の矛盾や、資本主義と民族国家の拡大とも結びついていた。ザメンホフは、特定の民族の言語ではなく、中立的な共通語を作ることで対立を和らげられると考え、国際語の研究と試作を重ねていった。

ザメンホフと国際語構想

ザメンホフは、青年期から複数の試作言語を生み出し、その集大成として1887年に『国際語』の名称でエスペラントの文法書を発表した。彼は自らの理想を「人類の相互理解と平等」をめざすヒューマニズムとして説明し、宗教や民族を越える倫理観を重視した。20世紀に入ると、平和主義を掲げた思想家や作家たちがこの理想に共鳴し、後の時代のサルトルらが論じた普遍的人間像とも響き合う要素を持つと評価されることになる。ザメンホフ自身は政治的権力とは距離を保ちつつ、言語を通じた草の根の国際主義を志向した点に特徴がある。

言語としての特徴

音韻と表記

エスペラントはラテン文字を用い、原則として一つの文字が一つの音を表す完全な表音主義をとる。アルファベットは28文字からなり、長母音や複雑な二重母音を避け、誰にとっても発音しやすい音体系を目指している。綴りと発音の対応が例外なく決まっている点は、多くの学習者が「ボルト」などの工業製品の規格にたとえるほどの規則性を持つため、その比喩になぞらえればボルトのように標準化されたシステムであると言える。

文法と語形成

エスペラントの文法は、語尾によって品詞や機能を表す単純な体系を採用している。名詞の語尾は-o、形容詞は-a、副詞は-eで終わり、動詞も時制ごとに一定の語尾で活用するため、不規則変化はほとんど存在しない。また接頭辞・接尾辞を多用する語形成が特徴で、限られた語根から多数の語を派生させることができる。この構造は、哲学用語を自由に組み立てたニーチェや、実存主義の概念操作を行ったサルトルの造語感覚とも比較されることがあるが、エスペラントの場合は規則性が徹底されている点で異なる。

エスペラント運動の展開

文法書の刊行後、各国に愛好者のグループが生まれ、20世紀初頭には世界エスペラント大会が開催されるようになった。参加者は、平和運動家、教育者、社会主義者、宗教家など多様であり、国境を越えた通信や雑誌の発行が盛んに行われた。第一次世界大戦と第二次世界大戦の荒廃は、ザメンホフの理想が実現しなかった現実を突きつけた一方で、戦争を経験した世代が改めて国際協調の必要性を意識する契機ともなった。20世紀後半には国際機関や民間団体でもエスペラントに注目する動きが見られ、思想家サルトルらが提起した人間の連帯の問題とも重ね合わせて論じられた。

日本における受容

日本では明治末から大正期にかけてエスペラントが紹介され、進歩的な知識人や労働運動家の間で支持を集めた。海外の思想や文学を原語に頼らずに読みたいという欲求や、国際平和運動への関心が、その背景にあったとされる。戦後も市民大学講座や地域サークルでの学習が続き、地方自治体や文化施設の講座科目として採用された例もある。日本のエスペランティストは、翻訳活動や海外との交流会を通じて、国際社会の中で自らの経験を発信する役割も担ってきた。

評価と影響

エスペラントは、国際連合などの公用語には採用されなかったものの、言語学・社会思想・教育学の分野で重要な研究対象となっている。特定民族の優位を前提としない共通語という発想は、グローバル化が進んだ現代においても、英語一極集中への批判や言語的少数者の権利の問題を考える手がかりを与える。哲学者ニーチェサルトルが提示した人間の自由や主体性の問題と同様に、エスペラントもまた、言語の在り方を通じて人間同士の関係を問い直す試みであると言える。この人工言語の歴史を追うことは、近現代社会における国民国家・帝国主義・国際主義といった大きなテーマを理解するうえでも有益である。