五カ年計画(第1次ソ連)|重工業優先で急速工業化

五カ年計画(第1次ソ連)

五カ年計画(第1次ソ連)は、1928年から32年頃にかけてソビエト連邦で実施された最初の長期経済計画である。資本主義諸国に比べて大きく立ち遅れた工業水準を短期間で引き上げ、「数十年の遅れを数年で取り戻す」ことを目標とした。この計画は、重工業の集中的な育成と農業の集団化を軸としており、後の社会主義国における計画経済モデルの原型となった一方で、国民生活に大きな犠牲と混乱をもたらした政策としても知られる。

歴史的背景

ロシア革命後、ボリシェヴィキ政権は戦時共産主義と呼ばれる急進的政策により経済を統制したが、生産は急減し社会不安が拡大した。その反省からレーニンの下で導入されたのがネップ(新経済政策)であり、一定の市場メカニズムを許容することで農業と商業の回復が進んだ。しかしネップは重工業の飛躍的発展にはつながらず、また資本主義的傾向を温存するとして批判も強かった。こうしたなかで、ソ連指導部は本格的な工業国家への転換を急ぎ、長期国家計画の策定に踏み切った。

計画立案とゴスプランの役割

第一次五カ年計画の立案に中心的役割を果たしたのが国家計画委員会ゴスプランである。ゴスプランは、鉄鋼・石炭・機械など主要産業の生産目標、労働力配置、投資額、さらには輸送・電力供給に至るまで詳細な数値目標を設定し、国家全体の資源配分を統一的に決定した。計画は形式上、工場や地方からのボトムアップの「希望計画」を集約して作成される建前であったが、実際には中央の政治的意図が強く反映され、その達成は党と国家官僚の威信と直結するものとなった。

主要目標―重工業化と農業集団化

第一次五カ年計画の最大の目標は、軍需とも結びついた重工業部門の飛躍的拡大であった。鉄鋼・石炭・石油・機械製造などへの投資が優先され、巨大製鉄所やダム、トラクター工場が建設された。他方で、その財源を確保するために農業部門からの余剰を強制的に吸い上げる必要があると考えられ、農民を集団農場へ編入する集団化政策が推し進められた。個々の農民経営は解体され、多数の農民がコルホーズに組織されることで、大規模機械化農業を実現しようとしたのである。

スターリン体制と社会への影響

この計画は、スターリンの権力確立と密接に結びついていた。計画達成は指導者の偉大さを示す政治的指標とされ、生産目標はしばしば非現実的な水準まで引き上げられた。その結果、現場では統計の粉飾や無理な増産が横行し、労働者には長時間労働と厳格な労働規律が課された。農業集団化に抵抗した富裕農民は「クラーク」として排除され、多数が追放・処刑の対象となった。こうした強制的な政策は農村の混乱と生産低下をもたらし、一部地域では深刻な飢饉が発生した。

工業化の成果と限界

他方で、重工業分野では一定の成果が現れた。鉄鋼や石炭、電力などの生産は計画期間中に数倍へと拡大し、ソ連は短期間で主要工業国の一角に近づいたと評価される。また道路や鉄道、発電所の整備を通じて、国土全体の産業インフラが整えられた。しかし消費財工業や住宅建設は後回しにされたため、国民生活は慢性的な物資不足と低い生活水準に苦しんだ。計画経済の下での供給の硬直性や品質軽視も、この時期から顕著になっていった。

歴史的意義

第一次五カ年計画(第1次ソ連)は、苛烈な動員と統制を通じて、農業国ロシアを工業国家へと転換させようとした実験であり、その成功と失敗は後の社会主義諸国の経済運営に大きな影響を与えた。ソ連が第二次世界大戦期に一定の軍需生産能力を持ち得た背景には、この時期の重工業化があったとされる一方、人命の犠牲と自由の抑圧を伴う体制の成立にもつながった。第一次五カ年計画は、経済発展と人間の生活・権利のバランスという問題を鋭く提起した歴史的事例として位置づけられるのである。