コルホーズ|ソ連の集団農場制度

コルホーズ

コルホーズは、ソ連における集団農場を指す用語であり、農民が土地・家畜・農機具を共同所有し、生産と分配を集団で行う仕組みをもつ農業組織である。名称はロシア語の「集団農場」を意味する言葉に由来し、国家が直接経営する国営農場にあたるソフホーズと区別される。農民は形式上は協同組合員として参加し、収穫物の一部は国家に納入され、残りが分配や販売にあてられた。コルホーズは、農業を通じて都市の労働者階級と工業部門を支える基盤と位置づけられ、社会主義体制の中核的な制度のひとつとなった。

成立の背景

コルホーズの形成は、ロシア革命後の農業政策の変化と深く結びついている。革命直後、ボリシェヴィキ政権は土地を地主から没収し農民に分配したが、その後、レーニンのもとで導入されたネップ(新経済政策)では、小農の個別経営が一定程度認められた。しかし、個別経営では国家が必要とする穀物を安定して確保できないと判断され、工業化を急ぐ方針を取ったスターリンは、大規模な農業集団化政策へ舵を切る。この集団化の受け皿として組織されたのがコルホーズであり、特に五カ年計画(第1次ソ連)の実施期に急速に拡大した。

仕組みと運営

コルホーズでは、土地や主要な生産手段は集団名義で所有され、農民は組合員として労働を提供する。作業は旅団や班などの単位に分けて組織され、耕作・収穫・家畜管理などの計画が作成される。収穫物はまず国家への義務的な供出に充てられ、残りが集団の収入となり、労働日数などに応じて配分された。多くのコルホーズでは、農民が自家用の小さな私有区画を持ち、野菜や家畜を個人的に生産・販売することも認められ、集団経営と私的補完が併存していた。この制度は、社会主義的所有と市場的要素が混在する複雑な性格を持っていた。

農民生活と社会への影響

コルホーズへの編入は、多くの場合、上からの指令に基づく強制的なものであり、富裕農民とされたクラークの排除や農民の抵抗を伴った。家畜の殺処分や穀物の隠匿などの混乱が生じ、一部地域では飢饉が発生したとされる。一方で、農村には学校や診療所、クラブなどが建設され、読み書き教育や文化活動が広められたことも事実である。コルホーズは農民を国家の統制の下に組み込み、農村社会のあり方を大きく変えた制度であり、その評価は農業生産の効率性と、強制性・暴力性への批判の間で揺れている。

計画経済における役割

コルホーズは、工業優先の計画経済のもとで、都市と軍隊に食料や原料を供給する役割を担った。国家は穀物調達価格や供出量を決め、農村から余剰を吸い上げることで急速な工業化を進めた。戦時期には、第二次世界大戦を含む大規模な戦争遂行を支える兵站の基盤ともなり、女性や高齢者がコルホーズでの労働を担う場面も多かった。ただし、生産意欲の低下や非効率な管理、設備投資の不足などの問題は長く続き、農業部門の慢性的停滞はソ連経済全体の弱点として指摘されるようになった。

コルホーズとソフホーズの違い

コルホーズソフホーズは、いずれも大規模な集団的農業経営であるが、所有形態と労働関係が異なる。コルホーズは名目上は農民の協同組合であり、組合員が集団の一部として生産と分配に参加する。これに対し、ソフホーズは国家が直接経営する国営農場であり、労働者は国家に雇用される労働者として賃金を受け取る。ソ連指導部は両者を組み合わせることで農業生産の拡大を図ったが、現場では資材配分や投資の偏りなどから、コルホーズ側が不利な条件に置かれることも多かった。

戦後の展開とその後

戦後期になると、コルホーズの組織は依然として維持されつつも、指導者による改革が試みられた。フルシチョフ期にはトウモロコシの導入など生産性向上策が打ち出され、ブレジネフ期には農業投資の拡大が図られたが、構造的な非効率は解消しなかった。最終的にソ連崩壊後、多くのコルホーズは民営化や解体の過程を経て、株式会社や個別農家など多様な形態へと再編された。このようにコルホーズは、社会主義時代の農村を象徴する制度として、経済史・社会史・政治史の研究において重要な検討対象となり続けている。