丸都城
丸都城は、高句麗が現在の中国吉林省通化市集安市の山地に築いた山城である。鴨緑江上流域を見下ろす稜線上に展開し、平地の行政都市である国内城と対をなす防衛拠点として機能した。急峻な地形を生かした石築城壁・城門・水源施設を備え、戦時には王族・官僚・住民を収容する避難城、平時には軍事監視・軍需備蓄の拠点であった。3世紀前半に整備が進み、北東アジアの政治・軍事環境の変動に応じて改修を重ねた。2004年には「高句麗の都城と古墳群」の一部として世界遺産に登録され、古代東アジアの山城技術と都市防衛体系を伝える代表的遺跡として評価されている。
立地と地形
遺跡は鴨緑江支流域に近い山稜上に位置し、比高差の大きい斜面と自然の断崖が外敵の侵入を阻む。稜線は複数の小丘を連ねるため、城壁線は等高線に沿って屈曲し、視界と死角の配分が綿密に設計される。眺望点からは渓谷路・河谷路・山越えの古道が監視可能で、内陸交易や軍事進路を抑えるには最適の地勢であった。城域内には山頂部の平坦面(テラス)が点在し、官衙・兵営・倉庫址などの設置に用いられた。降雨に左右されぬよう湧水・池渠を囲い込む工夫も確認され、長期籠城に耐える自給体制が志向された。
成立と変遷
建設は2~3世紀に本格化し、周辺勢力との抗争激化に対応して山城化が進んだ。3世紀中葉には中原王朝との戦闘で被害を受け、のちに修復・再整備が行われた。首都機能は時期により国内城と山城の間で弾力的に運用され、平時の政務は平地で、非常時は山城に移す仕組みが定着する。5世紀前半、平壌方面への勢力伸長にともない王都中枢は南下したが、丸都城一帯はなお北辺の軍政拠点として重要性を保ち、国境監視・交通統制・地方統治を担い続けた。このような長期的改修・再利用の履歴は、遺構の重層性にも反映されている。
構造と施設
- 城壁・郭線:尾根筋に沿う曲折線で、要所は石積みを高くし、鞍部には関門的施設を置く。
- 城門・関防:急斜面側に屈曲通路(枡形)を設け、進入速度を殺ぎ火力集中を可能にした。
- 居館・官衙址:山頂平坦面に基壇と礎石列が残存し、軍政・祭儀の機能分化が推定される。
- 貯蔵・水利:穀倉址・土坑・石槽が確認され、湧水や溜池を囲って兵糧・水の確保を図る。
- 通信・警固:烽火台・望楼に相当する高所が連携し、周辺の支城や平地城と連絡網を構成した。
国内城との二重都市制
丸都城と国内城は、平地都市(行政・生産・交易)と山城(軍事・避難)を併置する高句麗特有の都市システムを体現する。平時は国内城に官衙・市場・居住が集中し、戦時には要人・住民・兵站が山城へと退避する。両者は渓谷路・尾根路で結ばれ、物資と人員の移送が迅速になされる仕組みであった。これは城郭の立地選択と都市計画が統合された「平山併置」の思想であり、後代の朝鮮半島各地にみられる山城群にも影響を与えたと考えられる。
軍事・外交史における意義
丸都城は北東アジアの勢力均衡の中で、高句麗が外圧に抗し領域統治を展開するための中枢的拠点であった。鴨緑江上流域の交通節点を押さえることで、遼東方面・満洲内陸・朝鮮半島北部を貫く軍事・交易ルートに対する制御力を確保し、対外戦争では防禦の拠点として持久戦を可能にした。さらに、平地の都城・古墳群・記念碑と一体となって王権の威信を可視化し、外交儀礼・冊封秩序に対する自立性を象徴した。したがって本城は、地政学・軍事技術・統治構造の交点に立つ遺跡である。
名称・表記
文献・碑文・調査報告では、「丸都城」「丸都山城」「 환도산성(漢字表記:丸都山城)」などの名称が併用される。いずれも国内城と対をなす山地の都城を指し、特定の峰・谷・郭に限定せず周辺の防衛線・施設群まで含む広義の城域を示す場合がある。研究上は遺構分布と歴史記録を突き合わせ、呼称の射程と時期差を吟味する必要がある。
調査史と保存
20世紀以降、現地測量・発掘・建材分析が段階的に進み、城壁線の復元、城門址・基壇址の確認、土器・瓦・鉄器などの年代資料が蓄積された。世界遺産登録後は保護区域の設定・緩衝地帯の管理・観覧動線の整備が図られ、風化・植生・観光圧の影響を抑える保存措置が継続されている。今後は年代測定の高精度化、微地形計測、資源管理と景観保全の統合が課題である。
関連史料と比較視角
- 中国正史東夷伝などは高句麗の都城・戦役を記し、山城の非常時機能を示唆する。
- 周辺の山城(支城・烽火台)や平地城との相互補完関係を比較することで、広域の防衛網の構造が明瞭になる。
- 北東アジアの他地域における山城・避難城と照合すれば、資源配分や軍政の標準化・多様化が浮かび上がる。