ワクフ
ワクフは、イスラーム法における恒久的寄進(endowment)であり、所有者が不動産や資産の処分性を停止し、その収益を宗教・教育・福祉など公共的目的に充てる制度である。語源的には「停止・拘束」を意味し、寄進物は売却・相続・担保化が禁じられるのが原則である。ワクフはサダカ・ジャーリヤ(流れ続ける施し)の観念と結びつき、モスク、マドラサ、病院、給水施設、橋や道路の維持など、都市の公共インフラを長期に支えた。英語では waqf と表記され、後世の foundation(財団)の一形態に相当する。
法的性格と成立手続
ワクフは、寄進者(ワーキフ)が対象物と目的を明示し、信託的管理者(ムタワッリー)を定め、ワクフ文書(ワクフィーヤ)で固定化して成立する。寄進物は不可分・不可譲渡とされ、原物(アイン)は維持しつつ、その果実(マナーフィウ)を受益者へ配分するのが基本である。各法学派(ハナフィー、シャーフィイー等)は動産の可否や条件の解釈に差異を持つが、公共性と恒久性の原理は共通する。カーディ(裁判官)が紛争時に監督・解釈を担い、ムタワッリーは会計・修繕・賃貸など日常管理を担当した。
類型と用途
類型は大きく公益的ワクフ(ハイリー)と家族ワクフ(アフリー)に分かれる。前者は貧民救済、学術・教育、宗教施設の維持など公共の利益に充てられ、後者は親族扶助を主眼としつつ余剰を公益へ回す規定を含むことが多い。具体的用途は次の通りである。
- モスクの建設・照明・清掃・イマーム俸給
- マドラサや図書館の運営、蔵書の管理
- 病院(ビーマーリスターン)・施療院・スープ配給所の維持
- 道路・橋梁・噴水・サビール(給水)など都市基盤の保全
- キャラバンサライ(ハーン)や市場の店舗賃貸収入の配分
都市社会と経済への影響
ワクフは都市の空間編成を方向づけ、宗教・教育・商業機能を結節した。市場区画(スーク、バザール)に付属する店舗・倉庫の賃料をワクフ収入源とし、そこから道路補修や給水、清掃などがまかなわれた。これにより課税財源に依存しない公共財供給が可能となり、景気変動時にも都市サービスが維持されやすかった。一方で、資産の凍結が進み過ぎると資本の流動性を損なうとの批判も生まれた。
史的展開
中世イスラーム世界では、学術都市の形成とともにワクフが拡大した。マムルーク期のカイロやダマスクスでは、複合宗教教育施設(マドラサ兼モスク兼霊廟)にワクフが付けられ、学寮・食堂・浴場までを包括した。オスマン帝国では現金を元本とする「キャッシュ・ワクフ(cash waqf)」が発達し、小規模融資や店舗修繕に運用益が回された。アンダルスやマグリブでも礼拝施設・給水施設の維持に寄進が充てられ、書物のワクフ(写本の寄進)も学知の蓄積を支えた。
宗教・教育との接合
ワクフは宗教儀礼と学知伝承の両輪を担い、ウラマー(法学者・学者)の活動基盤となった。説教学や法学講義、註釈作業の俸給、学生への給付、蔵書の購入・装幀などが継続的に保障された点は重要である。イスラーム文明圏の都市は、ウラマー共同体、モスク、マドラサ、市場が相互に支え合い、寄進により学術と福祉の循環が生じた。
司法・監督と会計慣行
カーディ(カーディ)はワクフ文書の解釈、受益者範囲の確認、ムタワッリーの交代や不正摘発に関与した。ワクフ台帳には資産目録、賃貸条件、修繕履歴、寄進者意図の継承条項が記され、定期監査により公益性の担保が図られた。店舗賃貸や農地の半小作など収益部門は分散管理され、リスク分散と長期安定収入が意識された。
近代以降の再編
近代国家の成立と行政集権化はワクフの制度環境を大きく変えた。タンジマート以降、国家監督官庁による一元管理や登記の厳格化が進み、20世紀には国有化・統合・再編の動きもみられた。トルコ共和国ではワクフ庁が所管し、歴史的建造物の修復と公益事業の資金配分を担う。今日では民法上の財団法人に近い枠組みで透明性・会計基準を整備しつつ、宗教・教育・文化財保護の伝統的使命を継承している。
経済思想・イスラーム金融との接点
オスマンのキャッシュ・ワクフは、資本の社会的循環と小規模信用の供給に寄与した事例として注目される。利潤の扱いは法学的制約下で工夫され、ムダラバ等の契約を通じて運用益を公益へ還元した。現代のイスラーム金融は歴史的経験を参照しつつ、内部統制・情報開示・受益者保護の整合化を進めている。
地域的多様性と文化景観
ワクフ建築群は都市景観を形成し、アーケード市場(スーク・バザール)や浴場、隊商宿を結節した。トルコ=イスラーム文化(トルコ=イスラーム文化)圏では複合施設キュリエが典型で、祈り・学び・施しが一体化した空間が創出された。イスラーム文明(イスラーム文明)の広域交流は、書物・学者・技術の移動を促し、寄進文化の連鎖を生んだ。
用語と文献
用語上はアラビア語(アラビア語)の waqf に由来し、ペルシア語・トルコ語では vakf/vakıf などの形で用いられる。史料はワクフィーヤや裁判記録、家計簿、都市台帳に散在し、建物銘文・寄進銘板が補助する。辞典・法学注釈書・都市史研究を併読することで、制度的連続性と地域差、運用実態の把握が可能となる。