ミール|ロシア農村の共同体組織

ミール

ミールは、帝政ロシアの農村に存在した農民共同体であり、村落単位で土地を共同所有し、租税負担や行政を担った組織である。とりわけ19世紀のロシアの改革の過程において、農民社会を統合し、国家と農民を結びつける中間的な存在として機能した点で重要である。ミールは、農民に最低限の生活基盤と自治を与える一方で、農業の近代化や個人所有の発達を阻む要因ともなり、その評価は歴史学のなかで分かれてきた。

ロシア農村共同体としてのミールの性格

ミールは、ロシア語の「平和」「共同体」を意味する語に由来し、村の農民全体が一つの共同体として土地を所有するとみなす制度である。村ごとに耕地が細かい帯状に区分され、各農民家族には共同体の決定に基づいて耕作地が配分された。こうした村落共同体は、帝政期のロシア社会において家父長制的秩序と相互扶助を支える枠組みであり、封建的な主従関係と並んで農村を構成した。

歴史的背景と形成

ミールの起源は中世ルーシ時代にさかのぼるとされ、農民が厳しい自然環境や外敵から身を守るために形成した共同体的な慣行に根ざしている。近世以降、ツァーリ体制の下で農奴制が発達すると、地主領主の支配のもとでも村落内部の慣行としてミール的な土地共有と自治が存続した。19世紀前半、専制君主ニコライ1世のもとで帝国は保守的な秩序維持を重視し、ナポレオン戦争後のヨーロッパの再編のなかで農村共同体を統治上の基礎とみなす傾向が強まった。

クリミア戦争と改革の契機

19世紀半ば、ロシアは黒海沿岸の要塞都市セヴァストーポリをめぐるクリミア戦争で英仏連合軍に敗北し、その結果を受けて1856年のパリ講和会議で国際的地位の低下を余儀なくされた。この敗北は、後進的な農奴制と非近代的な農村構造を温存してきた帝国の弱点を露呈した出来事であった。軍事・財政・行政全般の立て直しの必要性が痛感され、その出発点として農奴制と農村秩序の再編が検討されるなかで、ミールのあり方も重要な論点となった。

アレクサンドル2世の農奴解放とミール

皇帝アレクサンドル2世は1861年に農奴解放令を公布し、地主に隷属していた農奴を法的に自由な農民へと転換した。この改革では、農民に与えられる土地の多くが村落共同体であるミールの名義で保有され、農村単位で地代償還金を支払う仕組みが採用された。その結果、個々の農民は名目上自由農民となりながら、実際にはミールを通じて国家と地主に対して連帯責任を負う立場に置かれた。同時期に地方自治制度の一環としてゼムストヴォが創設され、ミールは地域社会の末端を構成する基礎単位として位置づけられた。

土地共有と再分配のしくみ

ミールにおいて、耕地は共同体に属するとみなされ、個々の農民家族は一定期間耕作する権利を与えられるにすぎなかった。村の人口や家族構成の変化に応じて、一定年数ごとに「土地割替」が行われ、各家族の耕地面積や位置が調整された。この再分配は、農民に最低限の生活を保障し、貧困の拡大を抑える役割を果たした一方で、長期的な投資や改良を行う動機を弱める要因にもなったと指摘される。帯状に細分化された耕地は耕作効率を下げ、近代的農業技術の導入を難しくする構造的制約でもあった。

共同責任と自治機能

  • ミールは、租税や償還金、徴兵義務に対して村全体で連帯責任を負い、支払いが滞れば共同体全体が処罰の対象となった。
  • 村の首長や長老たちは村会議を開き、土地配分、婚姻、移住、森林・草地の利用などについて慣習に基づき決定した。
  • 戸籍の管理、治安維持、軽微な紛争の裁定といった役割も担い、国家官僚と農民社会をつなぐ末端行政組織として機能した。

農民生活と経済への影響

ミールは、飢饉や不作の多いロシア農村において相互扶助を支える安全網であり、再分配によって極端な土地なし農民の増大を防いだという側面をもつ。共同体への所属は、農民にとって社会的アイデンティティであり、村からの離脱はしばしば厳しく制限された。その一方で、共同体外への自由な移動や都市への流出が妨げられたことは、労働力の流動化や市場経済の発展を遅らせた要因ともなった。工業化が進むなかで、こうしたミールの構造は、帝国全体の近代化を阻害する制度的枠組みとして批判されるようになった。

思想史のなかのミール

ミールは、19世紀ロシアの思想家や革命家にとっても大きな関心の対象であった。農民のなかに理想的な共同体精神を見いだしたポピュリズム運動の担い手たちは、農村共同体を基盤にロシア独自の社会主義へ移行できると考えた。彼らは農民の世界に身を投じる運動を展開し、その一部はのちの革命運動へと連なった。他方で、西欧型資本主義の発展を前提にした社会主義理論からは、ミールは前近代的残存物としてとらえられ、その解体が歴史の必然とみなされることもあった。

20世紀初頭の改革とミールの解体

20世紀初頭、ロシア政府は農業生産性の向上と社会安定を目的として、共同体的土地所有から個人所有への移行を進めようとした。ストルイピン改革として知られる政策は、ミールから離脱して私有農場を形成する農民を奨励し、土地の買い上げを支援した。しかし、伝統的な共同体意識や土地に対する観念は根強く、改革は地域や層によって成否が分かれた。その後、戦争と革命を経て帝政体制が崩壊すると、ソビエト政権は集団農場化政策を通じて旧来のミールを別の形で再編し、ロシア農村の社会構造は大きく変容していくことになった。