プリモ=デ=リベラ
プリモ=デ=リベラは、20世紀前半のスペインにおいて立憲君主制のもとで軍事クーデタを主導し、1923年から1930年まで独裁政権を率いた軍人・政治家である。正式名はミゲル=プリモ=デ=リベラで、モロッコにおける植民地戦争で軍功を立てたのち、社会不安と政治的混乱が続く中で議会制を停止し、王アルフォンソ13世の承認のもとで軍事独裁体制を築いた。彼の統治は、公共事業の拡大やインフラ整備など一定の成果を上げる一方で、議会政治や政党の活動を停止させ、市民的自由を制限するなど、後のファシズム的体制の前段階とも評価される権威主義体制であった。
生い立ちと軍人としての経歴
プリモ=デ=リベラは1870年、軍人の家系に生まれた。若くして陸軍士官学校を卒業し、キューバやフィリピンなど、かつてのスペイン植民地での戦闘に従軍した。20世紀初頭にはモロッコでのリーフ戦争に参加し、反乱勢力との戦闘で功績をあげて将官へと昇進した。こうした軍歴は、国内で政治不信が高まる中、「秩序を回復できる人物」としてのイメージを形成する基盤となった。
社会不安と1923年クーデタ
第一次世界大戦後、スペイン社会では物価高騰、労働争議、地方の分離主義運動などが激化し、議会政治は利害対立の調整に失敗していた。カタルーニャでは急進的労働組合の活動が活発化し、治安悪化に対する不満が高まっていた。こうした状況を背景に、1923年9月、バルセロナ軍管区司令官であったプリモ=デ=リベラは「国の再生」と「秩序回復」を掲げて軍事クーデタを決行し、政府を打倒した。国王アルフォンソ13世はこれを承認し、彼を政府首班とする軍事政権「ディクタドゥーラ」を成立させた。
アルフォンソ13世との関係
クーデタ後も王制自体は維持され、プリモ=デ=リベラの体制は王の信任に支えられた「王党派独裁」であった。表向きには王と軍事政権は協調していたが、議会や政党を排除して軍人・官僚に権力を集中させたため、王政の正統性は中長期的にはむしろ損なわれていった。この構図は、後にフランコが同じく王制復活と権威主義を結びつける際の先例ともなった。
政治体制と統治の特徴
プリモ=デ=リベラはクーデタ直後、憲法の効力を停止し、議会を解散した。政党活動は停止され、地方自治体にも政府が任命する当局者が送り込まれた。彼は政党政治を腐敗の原因とみなし、「国民全体の利益」を代表するという名目で、官僚と軍人による統治を行った。この体制は、後にムッソリーニが率いるイタリアのファシスト党政権と比較されることが多いが、イデオロギー的な大衆動員は限定的であり、むしろ保守的な秩序維持を優先する軍事独裁という性格が強かった。
経済政策と公共事業
プリモ=デ=リベラ政権は、鉄道・道路・港湾の整備など大規模な公共事業を推進し、インフラ整備を通じた近代化を図った。国家が企業への保護や介入を強めた結果、短期的には失業の軽減や景気の安定に一定の効果をもたらした。また、労働争議を抑え込むため、労使協調を標榜する職能団体を組織し、既存の労働組合の影響力を弱めようとした。こうした政策は、同時期のイタリアにおけるコーポラティズム的発想と共通する面を持ち、後の権威主義体制の経済運営と比較して論じられることが多い。
モロッコ問題の収束
クーデタ以前から続いていたモロッコでの反乱鎮圧は、政権の軍事的威信に直結する問題であった。プリモ=デ=リベラはフランス軍と協力し、共同作戦によって反乱勢力を制圧することに成功した。モロッコ問題の収束は軍と政権の威信を高めたが、同時に戦費や維持費の負担は国家財政に重くのしかかり、後の財政悪化の一因ともなった。
体制の行き詰まりと辞任
1920年代後半、世界経済が不安定化し、公共事業と軍事費に依存した財政は赤字を拡大させた。大学人や知識人、カタルーニャなど地方の自治を求める勢力は、権威主義的統治に強く反発し、政権への批判を強めた。1929年の世界恐慌は世界恐慌として各国経済に大打撃を与え、プリモ=デ=リベラ政権も景気悪化と財政危機に直面した。国王の支持も揺らぐ中、彼は1930年に辞任し、その後まもなく亡命先で死去した。
その後のスペイン政治への影響
プリモ=デ=リベラの独裁は、立憲君主制に対する信頼を大きく損ない、1931年に王政が崩壊して第2共和政が成立する一因となった。また、彼の息子ホセ=アントニオ=プリモ=デ=リベラは、後にスペインのファシズム政党であるファランヘ(スペインファランヘ党)を創設し、フランコ独裁と結びつく思想的潮流を生み出した。こうした点で、プリモ=デ=リベラの体制は、スペインにおける20世紀の権威主義体制の「先駆」として位置づけられ、ファシズムやヨーロッパの独裁政権との比較の中で論じられている。
- 立憲君主制のもとで成立した軍事独裁
- モロッコ問題の解決と軍事的威信の確立
- 公共事業と保護主義的政策による短期的な経済成長
- 政党政治と市民的自由の制限
- 王政崩壊と後続の権威主義体制へのつながり