ブハラ
中央アジアのオアシス都市ブハラは、ザラフシャン川流域の灌漑地帯に築かれ、東西交易の結節点として繁栄した歴史都市である。古代ソグディアナ以来の都市伝統を受け継ぎ、イスラーム化以後は学術と宗教の中心地として名を高めた。今日では旧市街のモスク、マドラサ、キャラバンサライ、交易ドーム群が良好に残り、都市史・建築史・宗教史のいずれの観点からも重要な研究対象である。
地理と都市景観
ブハラは砂漠縁辺のオアシスに位置し、灌漑路と街道が交差する要衝である。都市核は城塞アルクと金曜モスクを中心に、スークと職人街が環状に展開した。周辺の農村は綿・穀物・果実を供給し、砂漠隊商の補給地として機能した。こうした立地はシルクロード交易の動脈を掌握する条件を整え、政治支配者に安定財源をもたらした。
前イスラームから中世への展開
古代の都市はソグディアナ世界に属し、在地のソグド人商人が長距離交易を主導した。7世紀後半以降、アラブ勢力の進出でイスラーム化が進み、都市の宗教・法・教育制度が整備される。やがてウラマー層が台頭し、聖職・学者・商人が都市自治の骨格を形成、交易収益が宗教施設の維持と慈善に循環するイスラーム都市の典型が確立した。
サーマーン朝期の発展
サーマーン朝(9~10世紀)はマー・ワラー・アン=ナフル支配の下、波斯語文化の復興を推し進め、ブハラを政治・文化の都として整備した。宮廷の保護で詩人・法学者・哲学者が集まり、学知の都としての性格が強まる。貨幣鋳造や市管理が整い、カラヴァンサライや市場の再編が都市経済を底上げした。
学術・宗教とマドラサ
ブハラはハディース学・法学・神学の中心で、ハナフィー学派の学伝が厚い。ミール・イ・アラブ・マドラサなどの高等教育施設が設けられ、学寮と講堂、礼拝空間が連続する複合体が形成された。学術は都市の紐帯であり、寄進(ワクフ)によって運営が支えられ、シャリーアに基づく裁きと日常の規範を支えた。
交易・経済と都市の仕組み
交易は香辛料、絹織物、毛皮、金銀細工、紙など多品目に及び、隊商はキャラバンサライで宿泊・保管・決済を行った。ドーム状の交易施設は商品別に区画され、市場監督が品質と度量衡を管理した。対外的にはサマルカンドやホラズムと結び、内陸交通の要点として収税と関税の集積が財政を支えた。
ティムール期からブハラ・ハン国へ
ティムールの覇権下で地域秩序が再編されると、ブハラは学術と宗教の重鎮として位置づけられた。16世紀、ウズベク系のシャイバーニー家が進出し、やがてブハラ・ハン国が成立する。ここでの政治的称号はアミールの名で知られ、宗教権威と結びついた統治が展開された。宮廷はウラマーを保護し、都市の宗教教育は継続的に強化された。
ロシア帝国の保護国化とソ連期
19世紀後半、ロシア帝国の中ア進出によりブハラは1868年に保護国化され、伝統的統治は外圧の下で再編を迫られた。1917年以後の動乱でハン国は崩壊し、1920年に人民ソビエト共和国が成立、のちソ連体制下で宗教施設の機能は縮減した。他方で歴史的建造物の一部は文化財として保存対象となり、都市景観は近代的インフラと併存する形で変容した。
都市遺産と建築美
ブハラの象徴であるカラーン・ミナレットはレンガ装飾と比例感覚に優れ、遠望の視覚的標柱となる。アルク城は支配権力の舞台であり、ラビハウズ地区は水盤を核に宗教・商業・居住が重層する都市空間を示す。釉瓦装飾や幾何学・植物文様はイスラーム美術の典型で、碑文帯は信仰と権威を視覚化する。
主要遺構(例示)
- カラーン・ミナレットと金曜モスク(都市の宗教中心)
- アルク城(王権の象徴と行政機能)
- ラビハウズ(公共空間と商業の結節点)
- ミール・イ・アラブ・マドラサ(高等教育の拠点)
文化的意義と広域世界との関係
ブハラは東西知の媒介地として、法学・神学のみならず文芸や科学知の交流にも寄与した。アッバース朝期の知の潮流やイスラーム世界の中心都市コルドバとの比較研究は、都市類型の理解を深める。宗教権威、商人ギルド、市場制度の三者が相互補完し、都市の持続可能性を高めた点はイスラーム都市史の重要な事例である。
世界遺産と現代
1993年、旧市街はUNESCOのWorld Heritage「Bukhara Historic Centre」に登録された。保存計画は景観・材質・職人技の継承を重視し、観光と居住の両立を課題とする。インバウンドの増加は経済を活性化させる一方、過度な商業化や素材代替の問題も生む。歴史的都市としてのブハラは、保全と活用の均衡を探る実験場であり、交易都市の記憶を今日に伝えている。