ファーティマ朝|イスマーイール派が築く地中海帝国

ファーティマ朝

ファーティマ朝は、シーア派イスマーイール派のイマーム=カリフを掲げ、北アフリカからエジプト、紅海・東地中海に勢力を伸ばしたイスラーム王朝である。909年にイフリーキヤで建国され、969年にエジプトを制してカイロを都とし、学術・交易・都市建設に卓越した統治を展開した。バグダードのアッバース朝と二重カリフ制を形成しつつ、宣教(ダアワ)と財政運営を軸に長期政権を維持したが、内部の継承争いと十字軍・セルジューク朝の圧力、アイユーブ朝の台頭により1171年に終焉した。

成立と拡大

ファーティマ朝は、預言者ムハンマドの娘ファーティマと第4代正統カリフ・アリーの子孫を自任する系譜意識を基礎に、ウバイドゥッラー・アル=マフディーが909年、イフリーキヤで即位して始まる。北アフリカでの支配を固めると、海軍と騎兵を整備し、969年には将軍ジャウハルがエジプトを攻略、翌年以降ムイズが都を新設して政治・経済の重心をナイル下流域へ移した。

都カイロと行政

新都カイロ(アル=カーヒラ)は、城壁・宮城・スーク(市場)を計画的に配置した都市で、行政は宰相を頂点とする官僚制と文書行政により整えられた。ベドウィン勢力や旧来の土地貴族との均衡が配慮され、財務・郵驛・情報収集などの機構が整備され、綿密な徴税と穀倉地帯の灌漑維持が国家運営の要となった。

イスマーイール派の教義とダアワ

ファーティマ朝の統治理念は、イスマーイール派のイマーム論に支えられた。各地にダアイ(宣教員)を派遣し、理性による解釈学や階梯的な知識観を説いて信徒基盤を広げた。思想は法学・哲学・天文学などの学問保護と結びつき、宗教的権威と政治権力の統合を実現した点に特色がある。

学術と文化事業

カイロではアズハル学院が創設され、クルアーン注釈、法学、言語学、天文・数学が奨励された。図書館の整備、写本収集、紙の普及が知識流通を促進し、宮廷工房は金銀器、象牙細工、織物、写本装飾などで高度な美術工芸を生み出した。都市の宗教建築は多柱式モスクや装飾的ファサードに特徴がみられる。

経済と交易ネットワーク

ファーティマ朝は、地中海・紅海・インド洋を結ぶ海上交易の要衝を押さえ、香料・胡椒・宝石・象牙・織物などの流通で中継貿易益を確保した。貨幣制度は金ディナールの品位維持に留意し、カイロは商人ギルドと為替・信用の発達で国際商都として機能した。港湾の整備と関税管理は国家財政を下支えした。

アッバース朝との対抗と外交

東方のアッバース朝に対し、ファーティマ朝はカリフ号を掲げて象徴的優位を競い、影響圏はシリア・ヒジャーズ・イエメンへ及んだ。セルジューク朝の伸張と十字軍の到来はシリア情勢を緊迫化させ、外交と軍事の両面で巧みな均衡策が求められた。ヒジャーズの聖地管理をめぐる名望競争も政治的正統性と結びついた。

社会構造と軍事

軍事はトルコ系・スーダン系・ベルベル系など多元的編成で、近衛と海軍が都と海上交通を守った。都市社会では商人・法学者・書記官が力を持ち、ワクフ(寄進財産)が宗教・福祉を支えた。イスマーイール派の寛容政策のもと、キリスト教徒やユダヤ教徒の文官・医師が活躍する場も存在した。

分裂と衰退

11世紀後半、ムスタンシルの後継をめぐってニザール派とムスタアリー派に分裂し、教権の権威が揺らいだ。経済ではナイルの氾濫不順や内紛が打撃となり、地方の自立化が進行する。やがてサラーフッディーン(サラディン)がエジプトの実権を掌握し、1171年にカリフ制は廃され、アイユーブ朝が成立した。

歴史的意義

ファーティマ朝は、二重カリフ時代の一翼としてイスラーム世界の多様性を体現し、紅海・地中海を結ぶ交易の再編、カイロの都市発展、学術・工芸の繁栄をもたらした。イスマーイール派の知的伝統は後世の思想史にも痕跡を残し、エジプトを学術・商業の中心に押し上げた経験は、その後の王朝にも大きな影響を与えた。