パリ条約(1898)
「パリ条約(1898)」は、1898年の米西戦争(アメリカ=スペイン戦争)を終結させた講和条約であり、アメリカ合衆国帝国主義の出発点とされる国際条約である。スペインがキューバ・プエルトリコ・フィリピンなどの支配権を失い、アメリカがカリブ海と太平洋に勢力を広げる契機となった点で、19世紀末の国際秩序に大きな影響を与えた出来事である。
締結の歴史的背景
19世紀末、かつて巨大な植民地帝国であったスペインは、独立運動の高まりと経済的衰退によって国力を失いつつあった。キューバでは独立戦争が再燃し、スペイン軍による苛烈な鎮圧が国際的な批判を招いた。一方、工業化を進めたアメリカでは、新たな市場と海軍基地を求める対外膨張論が強まり、世論はキューバ介入を支持する方向へ傾いた。1898年の「メイン号事件」をきっかけに開戦が決定すると、米西戦争は短期間でアメリカ側の勝利に終わり、講和条件を決める場としてパリでの会議開催が合意された。
講和会議と条約調印
パリで開かれた講和会議には、マッキンリー政権の方針を反映するアメリカ代表団と、植民地帝国の維持を望むスペイン代表団が出席した。交渉の焦点となったのは、キューバの地位、カリブ海諸島、そしてフィリピンの処遇であった。アメリカはすでにハワイ併合を行い太平洋進出を進めており、フィリピンの獲得によってアジアへの橋頭堡を確保しようとしていた。軍事的敗北と財政難に苦しむスペインは最終的にアメリカの要求を受け入れ、1898年12月10日に「パリ条約(1898)」が調印された。
パリ条約(1898)の主な条項
- スペインはキューバに対する主権と統治権を放棄し、キューバは形式上独立国とされた。ただし当面はアメリカ軍の占領統治下に置かれ、後にプラット修正条項により強い干渉権が認められることになる。
- スペインはプエルトリコおよびグアムをアメリカに割譲し、アメリカはカリブ海と西太平洋に軍事・海軍上の拠点を獲得した。
- フィリピンについては、スペインが主権を放棄し、その代価としてアメリカが2000万ドルを支払うことが定められた。アメリカによる領有に反発したフィリピンでは、その後米比戦争が勃発し、独立運動が武力で抑え込まれることになった。
- その他、捕虜の交換や財産権の取り扱いなどが細則として規定され、戦争状態の終結と新たな支配体制への移行が法的に整えられた。
アメリカ社会と国際関係への影響
「パリ条約(1898)」によって、アメリカはカリブ海と太平洋にまたがる海外領土を獲得し、列強の一員として国際政治の前面に登場した。国内では、海外領土の獲得を支持する勢力と、共和国の伝統に反するとして帝国主義を批判する勢力が対立し、上院での批准も僅差で可決された。農民や労働者の利益を掲げた人民党や、後に結成されるアメリカ社会党などは、対外膨張政策への批判や反帝国主義を重要な論点とし、アメリカの国家像をめぐる議論を活発化させた。
帝国主義時代における位置づけ
「パリ条約(1898)」は、スペイン帝国の実質的な終焉を意味すると同時に、アメリカ合衆国帝国主義が本格化する転換点となった。スペインの後退によって生じた空白は、アメリカのみならず列強諸国による勢力分割や、植民地支配に対する民族運動の高まりを促し、20世紀の国際秩序形成に大きな影響を及ぼしたと評価される。こうして「パリ条約(1898)」は、単なる一国間の講和条約にとどまらず、帝国主義時代の開始を告げる世界史的事件として位置づけられるのである。