パリ条約
パリ条約は、1763年に締結された講和条約であり、ヨーロッパと海外で展開した七年戦争を終結させる国際条約である。イギリス・フランス・スペインなどの列強が参加し、北アメリカやカリブ海、インドにおける領土再編を通じて、世界規模の植民地秩序を大きく書き換えた。特にカナダやルイジアナなどの帰属変更は、後のアメリカ独立革命や先住民社会の行方に深い影響を与えたため、近世世界史における画期となる条約と評価されている。
七年戦争とフレンチ=インディアン戦争の終結
パリ条約の背景には、1756年から1763年にかけて続いた七年戦争がある。ヨーロッパではプロイセンとイギリスが、オーストリア・フランス・ロシアなどと激しく対立し、その争いは北アメリカやインド、カリブ海にも拡大した。北アメリカでは、イギリスとフランスがインディアン諸部族を巻き込みながら覇権を争い、この局地戦はフレンチ=インディアン戦争と呼ばれた。戦争の最終盤には、イギリスがカナダやニューイングランド周辺で優勢となり、フランスの植民地帝国は大きく揺らいだ。
講和交渉とパリでの締結
戦争が長期化すると、参戦諸国の財政は疲弊し、とりわけフランスとスペインの損害は大きかった。イギリス国内でも戦費負担への不満が高まり、講和を求める声が強まったため、各国は中立国の仲介を通じて和平の道を探るようになった。こうして始まった講和交渉はパリで本格化し、1763年にイギリス・フランス・スペイン(ポルトガルは利害関係をもつが補助的立場)などが署名したのがパリ条約である。
主要な領土条項
パリ条約は、多数の領土割譲条項を含み、それぞれが後の世界地図を形づくった。代表的な内容は次の通りである。
- フランスはカナダおよびミシシッピ川以東の広大な領域(ニューオーリンズ周辺を除く)をイギリスに割譲した。
- かつてフランス領であったアカディアやカレドニア沿岸部もイギリス支配が確定し、北大西洋の漁業圏をめぐる力関係が変化した。
- スペインは、戦時中にイギリスに奪われたハバナなどの返還と引き換えに、フロリダをイギリスに割譲した。
- フランスは、別個の秘密条約でルイジアナ西部をスペインに譲渡し、表向きの版図縮小を補おうとした。
- カリブ海では、フランスが重要な砂糖産地であるマルティニークやグアドループを回復する一方、グレナダなどをイギリスに譲り渡した。
北アメリカ秩序の再編と13植民地
カナダと広大な内陸部を獲得したイギリスは、北アメリカで圧倒的な支配者となった。従来フランスやスペイン勢力との緩衝によって守られていた13植民地の安全保障環境は一変し、アパラチア山脈以西の進出が現実的な選択肢となった。他方で、イギリス政府は戦費と防衛費を補うため、砂糖法・印紙法など新課税を導入し、植民地住民の反発を招いた。こうした財政負担の転嫁と領土拡大政策は、やがてアメリカ独立運動を生み出す要因の一つとなる。
インディアン社会と境界政策
パリ条約によってフランスが北アメリカから大きく後退すると、多くのインディアン諸部族は、伝統的な「英仏間の勢力均衡」を利用した外交戦略を失った。イギリスは獲得地の統治を安定させるため、1763年にアパラチア山脈以西への植民地人の入植を制限する「1763年布告」を出し、先住民との境界を画定しようとした。しかし土地を求める入植者の圧力は強く、ポンティアック戦争などの武力衝突が相次ぎ、先住民世界とイギリス帝国の緊張は激化した。
カリブ海・ジャマイカ・ハイチ周辺への影響
カリブ海では、砂糖と奴隷労働によって莫大な利益を生むプランテーション植民地が重視された。イギリスはすでにジャマイカを保有していたが、パリ条約によってグレナダなどの島々も獲得し、砂糖経済の拡大基盤を広げた。一方フランスは、サン=ドマング(のちのハイチ)やマルティニークなど、高収益の植民地を保持することに成功し、北アメリカ本土を失った代償をカリブ海の利益で補おうとした。このように条約は、北アメリカではイギリス優位を確立しつつ、カリブ海では列強間の利害均衡を模索する妥協案ともなった。
インドとアジアにおける帰結
インドでは、フランスの商館都市の多くが形式上は回復されたが、要塞化や大規模な軍隊駐留は厳しく制限された。その結果、フランスはインド内陸への政治的影響力を失い、イギリス東インド会社が優位に立つ構図が固まった。アジアにおけるこの力関係の固定化もまた、パリ条約の重要な帰結であり、ヨーロッパ列強が海上帝国としてアジアの政治秩序に介入する枠組みを強化した。
ヨーロッパ国際関係とその後のパリ条約
パリ条約によってイギリスは「第一の世界帝国」としての地位を確立した一方、フランスとスペインには挽回を目指す復讐感情が残された。フランスはアメリカ独立戦争で13植民地側を支援し、イギリスへの報復を図ることになる。その結果として結ばれた1783年のパリ条約(アメリカ独立戦争終結条約)は、新たにアメリカ合衆国の独立を承認するものであり、1763年のパリ条約と並んでしばしば混同される。また、1814年や1856年など、パリで締結された他の講和条約も歴史上「パリ条約」と呼ばれるため、史学上は年号や対象戦争を明示して整理する必要がある。
歴史学における評価
歴史学において1763年のパリ条約は、ヨーロッパ列強の戦争が真に世界規模で連動し、勝敗が地球規模の植民地再編として可視化された契機とみなされる。北アメリカではフランス植民地帝国がほぼ消滅し、イギリス主導の新秩序が成立したが、その負担は13植民地や先住民社会に転嫁され、アメリカ独立とインディアン社会の再編という新たな問題を生み出した。さらに、カリブ海やインドにおける勢力分布の変化は、世界経済の中心が大西洋世界へと移る流れを加速させた。このように、1763年のパリ条約は、一つの戦争終結条約にとどまらず、近世から近代にかけての国際秩序変動を象徴する節目として位置づけられている。