トハラ
トハラは、古代中央アジアにおける地名・民族名として用いられた語であり、主にバクトリア一帯(後世の「トハリスタン」)およびタリム盆地の住民・文化と関連づけられてきた歴史用語である。ギリシア語史料のTokharoi、インド史料のTukhāra、漢籍の吐火羅などが相互に参照され、概念の重なりと混同が生まれた背景を持つ。今日の研究では、バクトリア系の集団とタリム盆地の「トカラ語」話者を機械的に同一視しない立場が有力である。
名称と語源
トハラは、ギリシア語形Tokharoi、インド文献のTukhāraに由来する外名であるとされる。中国史書では吐火羅・覩貨邏などの表記が見え、地域や時期により指示対象が揺れる。語源は確定していないが、バクトリア・ソグドなどイラン語圏の名辞との接触が想定される。
地理的範囲と歴史的背景
トハラの中核はアム川上流域のバクトリア(後のトハリスタン)である。前4世紀末のアレクサンドロス遠征後、ヘレニズム文化が定着し、前3〜前2世紀にかけてグレコ=バクトリア王国が繁栄した。前2世紀末には遊動・移住の波が強まり、月氏勢力の移入が政治地図を塗り替えた。
月氏・クシャーナ朝との関係
大月氏の一支がバクトリアへ定着し、やがてクシャーナ朝を樹立する。漢籍ではこれを「貴霜」と記す場合がある。クシャーナはインド北西部に勢力を伸ばし、ガンダーラ仏教美術やローマ・パルティア世界との交易を促進した。しばしばトハラはこの政治的基盤(土地・人)の歴史的呼称としても用いられる。
言語と文化
バクトリアではイラン語群の一員であるBactrianが広まり、ヘレニズムの影響を受けたギリシア文字で記された。一方、タリム盆地ではTocharian A/B(近年はAgne/Kucheanとも)が確認される。両者は系統も分布も異なり、「名は似て非なる」点が重要である。よってトハラ=タリム「トカラ語」話者という単純な同一化は避けられるべきである。
交易とシルクロード
トハラの地理は、オアシス都市・山岳峠・河川交通が交差する広域交易の結節点であった。バクトリア—インダス—イラン—地中海を結ぶルートのほか、北方草原を縦断する草原の道とも接続し、騎馬・ラクダ輸送と市場ネットワークが富をもたらした。
中華・インド・イラン史書の記述
漢籍は大月氏・貴霜・西域諸国との関係からトハラ(吐火羅)を言及し、インド文献はTukhāraを北西辺境の勢力として記す。イラン系史料やササン朝期の銘文にも周辺勢力としての陰影が見える。史料の言語・制作意図の差が同定を一層難しくしている。
考古学と美術
コイン出土は政治権力の継起を示す一次資料であり、バクトリア語の銘文は行政・王権の実像に迫る。仏教遺構や壁画は文化混淆(ヘレニズム・イラン・インド)の具体像を伝え、クシャーナ金貨は広域経済の厚みを物語る。これらはトハラ研究の基盤資料である。
史学上の論点(トハラ/トカラ問題)
近代以来、タリムの「Tocharian」をバクトリアのTokharoiと結びつける仮説が流布したが、言語学・地理の両面から再検討が進み、現在は慎重な区別が主流である。名称の連関は認めつつも、民族・言語・政治体の同一視は証拠不足である。
周辺遊牧世界との関係
遊牧民や騎馬遊牧民の動態は、南北交通の安全と都市の盛衰に直結した。スキタイ系・サカ系の移動、さらには匈奴やその後継勢力の圧力は、トハラ周辺の勢力均衡に連鎖的な変化をもたらした。
ステップ=ロードの視角
近年は、定住オアシス圏と草原帯を統合的に捉える視角が重視される。ステップ=ロード概念は、トハラを単なる辺境ではなく、複数の文明圏を媒介する「結節点」として位置づける。
年代の整理(概略)
- 前4世紀末:アレクサンドロスの遠征によりヘレニズム勢力進出
- 前3〜前2世紀:グレコ=バクトリア繁栄
- 前2世紀末以降:月氏の移入、バクトリア再編
- 1〜3世紀:クシャーナ朝の隆盛と広域交易の活性化
- 4〜6世紀:ササン朝・エフタルの介入と権力交替
- 7〜8世紀:唐の西域政策とタリム諸国の再編
用語混同への注意
トハラ(Tokharoi/Tukhāra)と、タリムの「Tocharian(A/B)」は、名称の類似にもかかわらず、地域・言語・時代が一致しない可能性が高い。研究上は史料ごとに文脈を確認し、短絡的同定を避けることが肝要である。
研究史と方法
コイン学・言語学・仏教美術史・考古学の横断が不可欠である。史料言語(ギリシア語・バクトリア語・サンスクリット・イラン諸語・漢文)の多層比較により、トハラの実像は、政治地理・交易路・宗教文化の三位一体として浮かび上がる。
東アジア史への接続
トハラ研究は、内陸アジアと東アジア世界の形成理解にも資する。北方草原とオアシスの連結、絹と馬の交換、仏教伝播の経路などは、内陸アジア世界・東アジア世界の形成の中核論点と重なる。
関連する周辺民族
サカ系やスキタイ、および西域オアシスの諸都市国家は、トハラの政治・経済・文化に影響を及ぼした。多民族接触の場としての特質が、貨幣・宗教・美術・制度の折衷性を生み出したのである。
小括
トハラは単一の民族や王朝を指す固定的名称ではなく、時代・文献・言語によって指示対象が変動する歴史的概念である。バクトリアの政治史、タリム盆地の言語史、草原—オアシス—農耕文明の接点という三つの軸を交差させることで、その複合的実体が理解できる。