デヴシルメ
デヴシルメは、オスマン帝国が主としてバルカン諸地域のキリスト教徒少年を徴集し、イスラーム教化と教育を施して国家直隷(kul)の軍人・官僚へ養成した制度である。14〜17世紀にかけて機能し、とりわけ常備歩兵イェニチェリや宮廷内務・財務人材の基盤を成した。血縁や地方有力者から相対的に自立した人材供給を確保し、中央集権化に寄与した点に特質がある。
成立背景と制度化
デヴシルメは、征服の進展で多様な宗教・言語集団を抱えた帝国が、忠誠の担保された直隷人材を継続的に確保する必要から整備された。スルタンの慣行法(カーヌーン)に位置づけられ、徴集・選抜・送り出し・配属までを官僚的に運用した。土地軍役制ティマールや騎兵シパーヒーとは異なり、俸給と昇進が宮廷・中央官庁に直結する仕組みであった。
徴集対象と地理的範囲
対象は主にギリシア、ブルガリア、セルビア、ボスニア、アルバニアなどバルカンの農村共同体である。原則として未婚の少年が選抜され、身体条件・素行・潜在的才能が審査された。聖職者の子や都市の徒弟など一部は除外され、同一家庭からの過度な徴発を避ける抑制もあった。宗教共同体秩序(後世のミッレト的把握)を踏まえつつ、徴発と補填の均衡を図った。
手続と教育の流れ
デヴシルメで徴集された少年は、地方役人と護送隊によりアナトリアへ送致され、イスラームへの改宗・トルコ語習得・基礎識字と礼法を学んだ。その後、宮廷学校に進む者と、農村のトルコ系家に配され勤労規律を身につける者に分かれる。前者は宮廷内務や高級近衛へ、後者は訓練ののちJanissaryや工役・技術職へ進んだ。
- 地方での名簿作成と第一次選抜
- 護送・改宗儀礼・語学教育
- 農村実習(アジャミ・オグラン)または宮廷学校進学
- 軍事訓練・官房実務教育
- 配属後の功績評価と昇進
社会・政治的影響
デヴシルメ出身者は、宮廷・官房・財務・工廠にまで広く進出し、しばしば宰相層に達した。血縁貴族や地方権力に依存しない幹部層の形成は、スルタン権力の強化と軍政の均質化に資した。他方で、家族からの分離や地域社会の人員流出は、農村経営や宗教共同体の心理に負担を与えたことも事実である。帝国辺境の動員構造は、ハンガリー戦線やモハーチの戦いなどの大規模遠征において、その即応力を示した。
衰退と停止
17世紀に入ると、都市民の子弟やムスリムの子の編入、賄賂・私的庇護の横行により、当初の「直隷・非世襲」という理念が崩れた。地方社会の反発や徴集コストの増大も重なり、デヴシルメは次第に断続化し、17世紀後半にはほぼ停止状態となる。以後は志願や傭兵化が進み、19世紀の常備歩兵改革とイェニチェリ廃止(1826年)により、旧来の人材供給の枠組みは終焉した。
用語・理念
語源的にはトルコ語devshirme(「集める」の意)に由来し、宗教改宗と国家奉仕の結合を通じて帝国の統合を図る「臣民の再編成」政策であった。全体として、デヴシルメは王権の人事主権を体現し、スルタンの下に均質化された官僚軍事エリートを形成する制度的装置であり、スレイマン大帝期スレイマン1世の拡張と統治の柱の一つをなした。