シュタウフェン朝
シュタウフェン朝は12世紀から13世紀半ばにかけて神聖ローマ帝国を主導した王朝で、ドイツ・イタリア・シチリアを結ぶ広域支配を志向したことで知られる。通称ホーエンシュタウフェン家(英語: Hohenstaufen)であり、皇帝フリードリヒ1世バルバロッサとフリードリヒ2世を頂点として、帝権の再編、イタリア政策、教皇庁との抗争、市民勢力や諸侯との権力均衡など、中世ヨーロッパ政治の核心的課題が凝縮した時代である。帝国の法秩序整備とローマ観念の復興を掲げつつ、都市連合との戦争、王権の継承不安定、地中海政策の多角化が併行し、最終的には大空位時代へ連接する契機を形づくった。
成立と家系の背景
王朝の出自はシュヴァーベン大公家に求められる。ザリエル朝後の王位継承争いで、シュタウフェン派(ホーエンシュタウフェン)とヴェルフ家が対峙し、帝国政治は長期の内紛に晒された。やがてコンラート3世がドイツ王位を掌握し、後継のフリードリヒ1世へと権力が継承される。地理的基盤は南西ドイツであるが、王朝の視線は常にアルプス以南へも伸び、イタリアの皇帝権回復が中核政策となった。
フリードリヒ1世バルバロッサの帝権再建
フリードリヒ1世(在位1152–1190)は赤髭(バルバロッサ)の異名で知られる。彼は帝国教会政策と封臣関係の再整理を通じて、ドイツにおける王権回復を図った。同時にロンバルディア都市の自治拡大に対抗し、イタリア遠征を繰り返した。パヴィアの戴冠・ローマ進出・ロンバルディア同盟との対立を経て、レニャーノの戦い(1176)で挫折を経験し、ついでコンスタンツ条約(1183)で妥協に至る。これは都市の自治を承認しつつ皇帝権の名目的優位を確認する折衷であり、帝国‐都市の二元的秩序を定着させた点で画期であった。
ハインリヒ6世の王朝戦略とシチリア獲得
フリードリヒ1世の子ハインリヒ6世(在位1190/91–1197)は、ノルマン系のシチリア王国女王との婚姻を通じて南イタリアを継承し、神聖ローマ帝国とシチリアを同君連合的に結合した。これによりアルプスから地中海に至る戦略回廊が形成され、帝国の海洋的次元が拡張した。他方、教皇庁は包囲を危惧し、以後の皇帝‐教皇対立に地中海要因が強く組み込まれることになった。
フリードリヒ2世の普遍帝国構想
フリードリヒ2世(在位1212–1250)は学芸保護と法制整備で名高い。パレルモを拠点に多言語・多宗教の環境を統治し、シチリア王国では「メルフィ法典」によって王権主導の官僚制を整えた。神聖ローマ帝国では諸侯の特権を一定程度承認して支持を得る一方、イタリアでは皇帝直轄支配を追求し、市民勢力・教皇と鋭く衝突した。第六回十字軍では外交交渉によりエルサレム回復を一時的に実現するなど、武略と文治を併せ持つ君主像を体現した。
都市連合とイタリア政策の帰結
ロンバルディア同盟は北イタリア諸都市の連合体として、通商と自治を守るため皇帝の司法・徴税権に抵抗した。フリードリヒ2世は各都市に総督や裁判権を浸透させる制度化を試みたが、都市側は連帯と財力を梃子に粘り強く抗戦した。結果として、イタリア圏では皇帝権の直接的復古は挫折し、自治都市の主体性が長期的に存続する土壌が形成されたのである。
教皇庁との抗争と破門
シュタウフェン期の政治は一貫して教皇庁との関係に規定された。十字軍履行・ローマ冠戴・イタリア統治をめぐる軋轢から、フリードリヒ2世は複数回の破門を受け、プロパガンダ戦が展開された。教皇は皇帝の「普遍帝国」構想を抑止し、諸侯・都市・反帝勢力の支持を取り込んで国際的な包囲網を形成した。思想面でも二つの「普遍」の対立が際立ち、各地の知識人社会に長い影響を及ぼした。
経済・文化・制度の側面
この王朝期は、アルプス縦断交易と地中海交易が結節し、貨幣流通・関税・市制度が精緻化した時代である。シチリア宮廷はアラブ・ギリシア・ラテンの学知を接合し、天文学・法学・医学などの翻訳活動が進展した。帝国では封臣団と宮廷官職が再編され、行幸と大集会を通じて裁判・立法が実施された。象徴政治としての戴冠儀礼や帝権のローマ的表象も洗練され、法の文書化と公権の視覚化が結びついた。
衰退と大空位時代への移行
フリードリヒ2世没後、後継者コンラート4世・マンフレーディは南イタリアで奮闘するも、教皇支援を受けた外来勢力(アンジュー家シャルルら)に圧迫され、最終的に王朝は瓦解した。ドイツ本土では王位争奪と分権化が進み、1250年代から1273年までの「大空位時代」によって帝国の統合権威は著しく空洞化した。以後、選挙王政の性格が明瞭化し、諸侯の合議と帝国等族の自律が制度的に定着する基調が強まった。
歴史的評価と遺産
シュタウフェン朝は、帝権の再建と都市社会の自立、教皇権との緊張関係、シチリア宮廷文化の開花という三つの軸で理解される。普遍帝国の理想は挫折したが、法制・行政・外交の実務と象徴秩序の構築は後世の王権像に深い影響を残した。北イタリアの自治はのちの都市共和国の成熟を促し、ドイツでは選帝侯体制の強化を通じて「帝国」という枠組みが再定義された。王朝の栄枯は、ヨーロッパ中世における権力・宗教・都市の三者関係を照射する重要な鏡像である。
主要君主(概観)
- コンラート3世:王朝の端緒を開いたドイツ王。内紛収拾の足場を築く。
- フリードリヒ1世:帝権再建とイタリア政策の両立を試み、都市連合と妥協。
- ハインリヒ6世:婚姻政策でシチリアを獲得し、地中海へ展開。
- フリードリヒ2世:法制・学芸の保護者として知られ、普遍帝国を構想。
用語と出来事
- ロンバルディア同盟:北イタリア都市の連合。皇帝権に対抗。
- レニャーノの戦い:1176年、皇帝軍が都市連合に敗北。
- コンスタンツ条約:1183年、自治承認と帝権名目維持の妥協。
- メルフィ法典:シチリア王国の成文法。王権的官僚制の根幹。