クラッスス
クラッスス(Marcus Licinius Crassus, 紀元前115年頃〜紀元前53年)は、共和政末期ローマを代表する大富豪であり、軍事・政治の両面で影響力をふるった人物である。彼はローマ共和政の寡頭支配の中で財力を政治資本へと転換し、紀元前70年にはポンペイウスとともにコンスルに就任した。奴隷蜂起であるスパルタクス反乱の鎮圧、のちにカエサル・ポンペイウスと結んだ第1回三頭政治への参加で名高い。最後はパルティア遠征で大敗し、カッラエで戦死した。クラッススの栄達は、富・顧客関係・評判操作を組み合わせたローマ的上昇モデルの典型例である。
出自と若年期
クラッススはプレブスの名門リキニウス氏族に属し、父プブリウスも著名な政治家であった。青年期にかけての彼は、内乱の混乱と機会を同時に目撃した世代である。とりわけイタリア半島の同盟市が市民権拡大を求めて戦ったイタリア同盟市戦争後、ローマの統合は進んだが、社会は激しい再編の途上にあった。スッラの内乱で多くの敵対者が粛清されるなか、クラッススは生残り、やがて新秩序で台頭する足場を築いたのである。
富の形成とネットワーク
クラッススの政治力の根は圧倒的な資産にあった。彼は奴隷経営、不動産投機、徴税請負人との提携など、広範なビジネスを展開し、都市ローマの不確実性を利益へと転化した。多数の顧客(クリエンテス)を養ったことで、法廷支援や集会動員、選挙工作に必要な人的基盤も得たのである。
プロスクリプティオと不動産投機
スッラの追放者名簿(プロスクリプティオ)による没収財産の売却は、市場に大量の資産を吐き出した。クラッススは火災跡地や未整備地区を安価に買い集め、建設奴隷を活用して高収益物件へ転換したと伝えられる。この手法は倫理的議論を招いたが、都市空間の再編を進めた点で都市経済の現実とも結びついていた。
施しと公共利得
クラッススは競技会の資金提供や食糧配布などの「施し」を駆使し、名声(グロリア)と人気(ファヴォール)を獲得した。雄弁家・若手政治家の後援者としても知られ、人的ネットワークの拡大に努めた。こうした社会的投資は、のちの連携や法案支持を引き出す重要なテコとなったのである。
スパルタクス反乱の鎮圧
紀元前73〜71年の第三次奴隷戦争で、剣闘士スパルタクスが大蜂起を主導した。クラッススは臨時指揮を与えられ、厳格な規律(十分の一刑など)と堅実な築城・追撃で反乱軍を圧迫した。決戦ののち反乱は鎮圧され、帰還途上のポンペイウス軍の戦果も加わって功績が分散したが、クラッススの軍政手腕は確固となった。蜂起の背景にはラティフンディウムの拡大と「内乱の1世紀」に典型的な社会矛盾が横たわっていた。
コンスルとローマ政治
紀元前70年、クラッススはポンペイウスとともにコンスル就任を果たした。スッラ期の強権的改革の一部を是正し、元老院・騎士階級・民会の力学を再調整したことは重要である。アジア属州での徴税請負(公売契約)問題では騎士層の利益に配慮し、ミトリダテスとの戦役後の負担再編にも関与した(関連:ミトリダテス戦争)。
第1回三頭政治
紀元前60年頃、クラッススはカエサルとポンペイウスを仲介し、私的協定としての第1回三頭政治を成立させた。狙いは、元老院保守派への対抗軸を組み、各自の利害を同時達成することにあった。クラッススは財政・騎士層の懸案解決を、カエサルは法案通過と属州指揮を、ポンペイウスは退役兵の土地分配をそれぞれ追求したのである。
パルティア遠征と最期
ガリアで名声を高めるカエサルと、名将の誉れ高いポンペイウスに比して、クラッススは軍事的威信の不足を自覚した。彼は東方での栄光を求めてパルティア遠征を敢行するが、紀元前53年、カッラエでスレナの巧みな騎射戦術に翻弄され大敗、戦死した。この敗北は均衡装置としての三頭政治を瓦解させ、やがて共和政の崩壊へと連なる内戦の引き金となった。
評価と意義
- クラッススは財産・顧客・施しを戦略的に用い、寡頭政治下の「富の政治」を体現した人物である。
- スパルタクス反乱鎮圧は彼の軍政能力を示しつつ、社会矛盾の深さを露呈させた(参照:スパルタクス)。
- 三頭政治参加は、個人間取引が国家意思決定を左右した典型例であり、その瓦解は内戦激化(内乱の1世紀)へ直結した。