カトー=カンブレジ条約
カトー=カンブレジ条約は1559年、フランス北部のル・カトー=カンブレジで締結された講和であり、1494年に始まる長期のイタリア戦争を終結させた国際条約である。主当事者はフランスのヴァロワ朝とスペインのハプスブルク家で、条約はイタリア半島における覇権をスペイン側に確定し、フランスはミラノやナポリなどの請求権を放棄した。これによりハプスブルク家が主導する秩序が強化され、フランスは内政、とりわけ宗教問題への対処に重点を移すこととなった。また、フランスとイングランドの間ではカレー帰属をめぐる取り決めが行われ、王家間の婚姻が平和の担保として組み込まれた点も特色である。
背景
15世紀末から続くヴァロワ=ハプスブルク間の抗争は、アペニン半島の支配をめぐる構図で展開した。フランス側ではヴァロワ朝がミラノ公国やナポリ王国への権利を主張し、対するスペインはハプスブルクの帝国資源を背景にイタリア諸邦への影響力を拡大した。16世紀半ばにはサン=カンタン(1557)やグラヴリーヌ(1558)でスペイン軍が優位に立ち、フランスの戦費と人員は疲弊に達した。こうした軍事・財政の逼迫と、戦争の長期化に伴う交易停滞は、停戦交渉を不可避にしたのである。
締結の経緯
講和はル・カトー=カンブレジで集中的に協議され、各国の高官が仲介・調整にあたった。フランス王アンリ2世は領土回復の限界を悟り、対面の損失を最小化しつつも持続的平和を得るために、戦場となったイタリアからの撤退を受け入れた。他方、スペイン王権はイタリアにおける既得権益の国際的承認を得ることで、地中海・ネーデルラント・イタリアを結ぶ戦略線の安定化を狙った。この共通利益が、1559年春の同意形成を後押しした。
条約の主要条項
- フランスはミラノ・ナポリなどイタリア諸領への請求権を放棄し、コルシカ島はジェノヴァの勢力圏に戻ることになった。
- サヴォイア家の復権が認められ、サヴォイアおよびピエモンテは同家に返還された。これにより北西イタリアの勢力均衡が再編された。
- スペインはイタリア半島における優越的地位を承認され、スペイン帝国の対外政策の要衝としてミラノを押さえ続ける体制が整った。
- フランスとイングランド間ではカレーについての取り決めがなされ、実質的にフランスの支配が継続したが、形式上は一定の猶予と代償規定が付された。
- 王家間婚姻が平和の保証装置として活用され、外交的抑止の役割を果たした。
国際秩序への影響
条約はイタリア戦争という大規模な多国間戦争を終息させ、欧州の勢力図を更新した。イタリアではスペインの優位が確定し、ミラノとネーデルラントを結ぶ補給路(いわゆる「スペインの道」)の安定に資した。これは地中海から北海へ至る戦略線の要として機能し、17世紀にかけてのヨーロッパ政治に長期の影響を与えた。またフランスは対外膨張よりも内政再建へと舵を切り、やがて宗教対立が激化してユグノー戦争へと至る。その意味で本条約は、外政の終点であると同時に内政の転回点でもあった。
イングランドとネーデルラントへの波及
イングランドはカレーの喪失により海峡戦略の再考を迫られ、国威にも打撃を受けた。やがてエリザベス1世の治世下で海洋政策が強化され、対スペイン牽制へとつながる。ネーデルラントではスペイン支配の強化が反発を招き、1560年代後半の反乱と独立運動の前史として位置づけられる。イタリアの安定は同地域での統治資源をネーデルラントに再配分する余地を与えたが、それは同時に抵抗を激化させる要因にもなった。
フランス内政への帰結
条約の直後、フランスではアンリ2世が馬上試合の事故で急逝し、王権は未成年王を戴く体制へ移行した。摂政下で貴族派閥の競合が強まり、カトリックのギーズ家と新教側のブルボン家・モンモランシー家の対立が深刻化した。対外戦争の終結は財政再建の前提を与えたが、宗教的亀裂はむしろ鮮明化し、内戦の時代が幕を開けることになる。
地理と名称
条約名の由来となったル・カトー=カンブレジは、カンブレー(カンブレジ地方)近傍の町で、今日のフランス北部に位置する要地である。フランドルからアルトワにかけての交通結節に近く、会盟の場として選ばれたことは、北西ヨーロッパの軍事・交易動線における同地の位置を反映している。
関連人物と王朝
本条約の結果、フェリペ2世の権威が強化され、スペインは欧州陸上権力の中心としての地位を固めた。他方、フランスの王家は対外覇権よりも国内統合に注力する局面へ移る。条約の文脈を理解するには、フェリペ2世、フランス王国、そして皇帝権を支えた神聖ローマ帝国の構造を合わせて捉えることが有益である。
簡易年表
- 1494年 シャルル8世のイタリア遠征により戦端が開かれる。
- 1525年 パヴィアの戦いでフランス軍が敗北、ヴァロワ=ハプスブルク対立が先鋭化。
- 1557年 サン=カンタンの戦いでスペイン側が優勢を確立。
- 1558年 グラヴリーヌの戦い、フランス軍の後退が決定的となる。
- 1559年 カトー=カンブレジ条約締結、イタリア戦争が終結。
- 1559年 フランス王アンリ2世死去、王権は不安定化。
- 1562年 ユグノー戦争が勃発、国内の宗教対立が長期化。
以上のように、カトー=カンブレジ条約は、イタリア半島における覇権をスペインに確定し、フランスの内政転換を促した画期であった。条約は多面的で、軍事・外交・王朝婚姻・地理戦略が交錯する合意であり、16世紀後半の欧州政治秩序を理解するための鍵となる。関連項目として、ヴァロワ朝とハプスブルク家の長期抗争、イタリアをめぐるイタリア戦争の推移、そして海洋・大陸双方で拡張したスペイン帝国の構造を参照すると理解が深まる。