カシミール
南アジア北部に位置するカシミールは、ヒマラヤ山脈西部の高原と谷から成る地域であり、現在はインド、パキスタン、中国の3国に分割されている。歴史的には美しい湖と豊かな農業地帯で知られるが、20世紀以降は領有権をめぐる紛争地として世界的に注目されるようになった。
地理的特徴と範囲
カシミールは、伝統的にはジルム川流域の谷とその周囲の山岳地帯を指したが、近代以降は旧ジャンムー・アンド・カシミール藩王国全域を意味することが多い。この藩王国の領域は現在、インドのジャンムー・カシミールおよびラダック、パキスタンが実効支配する「アーザード・ジャム・カシミール」とギルギット・バルティスタン、さらに中国が支配するアクサイチンなどに分かれている。
- 地理:ヒマラヤ西部の山岳・高原地帯。
- 政治:インド、パキスタン、中国の実効支配が分かれる。
- 社会:宗教・民族が複雑に混在する地域。
古代・中世の歴史
カシミールの歴史は、古代インドの王朝と密接に結びついている。マウリヤ朝のアショーカ王の時代には仏教が広まり、その後もヒンドゥー教王朝が支配した。中世にはイスラーム勢力が浸透し、14世紀にはイスラーム王朝が成立して地域の宗教構成を大きく変化させた。のちにムガル皇帝がこの地を支配し、その統治は北インド全体を支配したムガル帝国の枠内で展開されたと理解されている。
シク王国と藩王国支配
18〜19世紀になると、パンジャーブ地方に成立したシク王国が勢力を拡大し、その支配はカシミールにも及んだ。シク王国の弱体化後、イギリス東インド会社との対立からシク戦争が起こり、その結果としてパンジャーブとともにカシミールはイギリスの影響下に入った。1846年のアムリツァ条約により、ドーグラ家の藩主がカシミールとジャンムーを買い取る形で、ジャンムー・アンド・カシミール藩王国が成立し、英領インドの保護下に置かれた。
イギリス領インドの分割と紛争の発端
18世紀のブクサールの戦いなどを通じて確立されたイギリスの支配は、19〜20世紀を通じて英領インド体制を形づくった。1947年に英領インドがインドとパキスタンに分割独立すると、ジャンムー・アンド・カシミール藩王国は、ヒンドゥー教徒の藩王と多数派ムスリム住民を抱えるという複雑な構造をもっていた。藩王は当初帰属を決めかねていたが、パキスタン側からの部族軍侵入を受けてインドへの編入を決定し、これがカシミールをめぐる第1次印パ戦争の直接的な契機となった。
印パ戦争と実効支配線
第1次印パ戦争の結果、国連の仲介により停戦ラインが画定し、のちに実効支配線(LoC)と呼ばれる境界が成立した。この線を境に、インドはカシミール渓谷とジャンムー、ラダックの大部分を支配し、パキスタンは西側および北西部を支配する構図となった。1965年と1971年には再び印パ戦争が起こり、マイソール戦争やマラーター戦争と同様、南アジアの勢力図を変える契機となったが、少なくともカシミールに関しては支配線の基本構造は大きく変化しなかった。
中国の関与と冷戦構造
冷戦期には、中国もカシミール北東部に位置するアクサイチンを実効支配するようになり、インドと中国の国境問題と結びついた。1962年の中印戦争以後、アクサイチンは中国側の支配下に置かれ、パキスタンもまたカラコルム回廊付近の一部地域を中国に割譲したことで、カシミール問題は印パ間だけでなく中印関係を含む国際政治上の争点となった。
住民構成と宗教・民族
カシミール地域の住民は、宗教的にはイスラーム教徒が多数派を占めるが、ヒンドゥー教徒や仏教徒、シーク教徒なども居住している。とくに渓谷部ではムスリムが圧倒的多数であるのに対し、ジャンムーにはヒンドゥー教徒が多く、ラダックには仏教徒が多い。この多様な宗教・民族構成が、19世紀から20世紀にかけてのティプー=スルタンやグルカ戦争と同様に、地域アイデンティティと国家構想の対立を先鋭化させる背景となった。
現代インドにおけるカシミール
インドは自国が実効支配するカシミール地域を不可分の領土とみなし、憲法第370条に基づき特別な自治的地位を付与してきた。しかし2019年、インド政府はこの特別地位を廃止し、旧ジャンムー・アンド・カシミール州をジャンムー・カシミールおよびラダックの2つの連邦直轄地に再編した。これに対しパキスタンや国際社会の一部は反発を示し、カシミールをめぐる政治的緊張は現在も続いている。
カシミールと国際社会
カシミール問題は、住民の自己決定権、人権問題、核保有国同士の対立という側面から国際社会の関心を集めてきた。国際連合の場では住民投票の実施などが議論されてきたが、インドとパキスタンの立場の隔たりは大きく、具体的な解決策は見いだされていない。南アジア近代史全体を理解するうえで、ディーワーニーやパンジャーブ併合などと並んでカシミールは、帝国支配と民族国家形成の交錯する重要な事例として位置づけられる。