カザフ
カザフは、中央ユーラシアに居住してきたトルコ系の民族であり、現在のカザフスタン共和国の多数派民族である。歴史的には中央アジアの草原地帯で遊牧生活を営み、モンゴル系・トルコ系諸部族の混淆によって形成された。近世以降はロシア帝国とその後継であるソビエト連邦の支配下に入り、社会構造や生活様式に大きな変化を経験したが、イスラーム信仰と遊牧起源の文化を核とする民族的アイデンティティを保持してきた。
起源と民族形成
カザフの起源は、中世以降のトルコ系遊牧民とモンゴル系諸部族の再編に求められる。キプチャク系の草原遊牧民や、チンギス・ハンの征服後に成立したモンゴル帝国の後継諸国家の住民が混交し、やがて「カザフ・ハン国」と呼ばれる政治的枠組みが成立した。この過程で、言語はトルコ系のカザフ語に統一され、イスラーム信仰が広まり、氏族と部族から成る社会構造が整えられていった。
伝統的生活様式と社会構造
カザフ社会の基盤は遊牧牧畜であり、馬・羊・ラクダなどの家畜群を季節ごとに移動させる移牧が行われた。移動生活に適したユルタと呼ばれる移動式住居を用い、小規模な共同体単位である「アウル」が社会の基本単位となった。氏族・部族の連合体は「ジュズ」と呼ばれる大きな区分に組織され、首長層が政治的・軍事的指導者として機能した。こうした構造は、他の遊牧民社会やトルコ系民族とも共通点を持ちながら、カザフ固有の慣習法や慣行によって特色づけられていた。
宗教と文化
カザフの多くはスンナ派イスラームを信仰し、ハナフィー学派に属するとされる。イスラームは都市部の宗教教育やスーフィー教団を通じて広がり、遊牧的世界観と結びつきながら受容された。イスラーム祭礼や巡礼に加え、口承叙事詩、英雄譚、民族楽器による音楽などが豊かな文化を形成し、他のイスラーム圏や中央アジア諸民族との文化的連続性も見られる。
ロシア帝国支配とソ連期の変容
18〜19世紀にかけて、草原地帯は徐々にロシア帝国の勢力圏に組み込まれ、カザフは帝国支配下の被支配民族となった。帝国は要塞建設や農民移住を進め、定住農業地域が拡大するにつれて遊牧民の移動範囲は制限されていった。20世紀になると、ロシア革命を経て地域はソビエト連邦の構成共和国となり、遊牧牧畜の集団化や強制的な定住化政策が実施された。
ソ連期の飢饉と人口変動
1930年代の集団化政策は、カザフの遊牧経済に深刻な打撃を与え、大規模な飢饉と人口減少を招いたとされる。多くの家畜が失われたことで遊牧生活は維持困難となり、多数の人々が死亡あるいは周辺地域へ移住した。この経験は、民族の記憶に深い傷を残すとともに、社会構造の急激な変容をもたらした。
現代のカザフと国家建設
1991年にソ連が解体すると、カザフが多数を占めるカザフスタン共和国が独立国家として成立した。新国家は資源開発と経済成長を進めつつ、カザフ語の位置づけ強化や伝統文化の再評価を通じて民族的アイデンティティの確立を図っている。同時に、国内にはロシア系住民など多様な民族が共存しており、中央アジアにおける多民族国家としての調和も重要な課題である。さらに、中国新疆やロシア、モンゴル、ウズベキスタンなど周辺諸国にもカザフ人が居住しており、国境を越えたディアスポラを通じて歴史的な遊牧民世界と現代国家の枠組みが交錯する状況が続いている。