ウイルス
ウイルスは、遺伝情報を担う核酸と、それを包むタンパク質の殻からなる微小な感染性粒子である。大きさはおおむね20〜300nmで、光学顕微鏡では見えない。自分で代謝やエネルギー生産を行えず、ほかの生物の細胞に入り込んで初めて増える。そのため、生物と非生物の境界にある存在とされる。医療や公衆衛生の分野だけでなく、バイオ医薬品の製造や抗ウイルス加工製品の開発など、工業の現場とも関わりが深い。
濾過器をすり抜ける病原体
研究のきっかけは、19世紀末にタバコの葉へまだら模様が出る病気であった。1892年、ロシアのイワノフスキーは、素焼きのシャンベラン濾過器を通した液にも感染力が残ることを報告した。細菌を確実に除けるはずの濾過器を通り抜けたため、当初は「濾過性病原体」と呼ばれた。1898年にはオランダのベイエリンクがこれを「生きた伝染性の液体」と考え、ラテン語で毒液を意味するvirusの名を与えている。粒子の姿が実際に確認されたのは、1930年代に電子顕微鏡が使えるようになってからである。1935年、アメリカのスタンリーはタバコモザイクウイルスの結晶化に成功し、この業績は1946年のノーベル化学賞につながった。
粒子の構造と細菌との違い
粒子の中心にはDNAかRNAのどちらか一方だけが入っている。殻はカプシドと呼ばれ、カプソメアというタンパク質の単位が規則正しく並び、正二十面体やらせん形をつくる。インフルエンザウイルスやコロナウイルスは、その外側に脂質二重膜のエンベロープをまとう。エンベロープを持つかどうかで消毒薬への強さが大きく変わるため、現場ではこの区別がよく使われる。細菌との主な違いを表にまとめる。
| 項目 | ウイルス | 細菌 |
|---|---|---|
| 大きさ | 約20〜300nm | 約1〜5μm |
| 核酸 | DNAかRNAのどちらか一方 | DNAとRNAの両方 |
| 増殖 | 宿主細胞の中でのみ増える | 分裂で自ら増える |
| 抗生物質 | 効かない | 多くは効く |
| 観察手段 | 電子顕微鏡 | 光学顕微鏡 |
感染から放出までの流れ
増殖は、宿主細胞の表面にある受容体への吸着から始まる。続いて細胞内へ侵入し、殻を脱いで核酸をむき出しにする。宿主の酵素やリボソームを使って核酸の複製とタンパク質の合成が進むと、部品が組み立てられ、新しい粒子として細胞の外へ出ていく。1個の細胞から数百〜数千個の子孫が放出されることも珍しくない。RNAを遺伝情報とするものは複製時の読み間違いが多く、変異が起こりやすい。毎年のようにワクチンの株を選び直す必要があるインフルエンザは、その代表例である。
ボルティモア分類
1971年にアメリカの分子生物学者ボルティモアが提案した分類で、ゲノムの種類と、mRNAをつくるまでの道筋をもとに7つの群に分ける。
- Ⅰ群:二本鎖DNA(ヘルペスウイルスなど)
- Ⅱ群:一本鎖DNA(パルボウイルスなど)
- Ⅲ群:二本鎖RNA(ロタウイルスなど)
- Ⅳ群:プラス鎖一本鎖RNA(コロナウイルスなど)
- Ⅴ群:マイナス鎖一本鎖RNA(インフルエンザウイルスなど)
- Ⅵ群:逆転写を行う一本鎖RNA(HIVなど)
- Ⅶ群:逆転写を行う二本鎖DNA(B型肝炎ウイルスなど)
バイオ医薬品製造でのウイルスクリアランス
抗体医薬などのバイオ医薬品は、CHO細胞などの動物細胞を培養してつくる。培地の原料や細胞そのものから混入が起こりうるため、国際ガイドラインICH Q5Aでは、原理の異なる複数の工程で除去・不活化することを求めている。代表的なのは、pH3.5〜4.0付近で保持する低pH処理、溶媒と界面活性剤による処理、孔径約20nmのウイルス除去膜によるろ過である。各工程の能力は対数減少値(LRV)で評価し、次の式で求める。
LRV = log10(処理前のウイルス量 ÷ 処理後のウイルス量)
LRVが4であれば、量が1万分の1になったことを意味する。実務では、ウイルス除去膜は高価な使い捨て部材であり、目詰まりがそのまま原価に響く。前段にデプスフィルターを置いて凝集物を減らし、膜の処理量を確保するのが一般的な工夫である。
抗ウイルス加工製品の評価規格
手すりや建材、マスクなどに使われる抗ウイルス加工品の性能は、規格に沿った試験で確かめる。樹脂や塗装面などの硬い表面はISO 21702、繊維製品はISO 18184(国内ではJIS L 1922)で評価する。どちらも加工品と未加工品の感染価を比べて抗ウイルス活性値を出し、2.0以上、つまり99%以上の減少を効果ありの目安とすることが多い。注意したいのは、抗菌加工の試験(JIS Z 2801)に合格していても、抗ウイルス性能があるとは限らない点である。銀系・銅系の加工剤や光触媒は、試験に使う株によって結果が大きく変わる。部材を選ぶ際は、エンベロープを持つインフルエンザだけでなく、持たないネコカリシウイルスでも試験されているかを確認したい。
不活化の手段と条件
感染力を失わせる方法は、熱、光、薬剤に大きく分けられる。血漿分画製剤では60℃で10時間加熱する液状加熱処理が古くから使われてきた。紫外線では波長254nm付近のUV-Cが核酸を傷つけ、空調機器や水処理装置に組み込まれている。薬剤なら、濃度70〜80vol%のエタノールがエンベロープを持つものによく効く。ノロウイルスのようにエンベロープを持たないものはエタノールに強く、0.05〜0.1%程度に薄めた次亜塩素酸ナトリウムが使われる。ただし次亜塩素酸は金属を腐食させるため、ステンレス製の設備では拭き取りや水洗いを忘れてはならない。
コンピュータウイルスという呼び名
ほかのプログラムに入り込んで自分を複製する不正プログラムは、生物のウイルスになぞらえてコンピュータウイルスと呼ばれる。この言葉が広まったのは、1984年にアメリカのフレッド・コーエンがその性質を論文で定義してからである。宿主に寄生し、単独では増えないという点で、本来の意味をうまく借りた呼び名といえる。
コメント(β版)