インド産綿布
インド産綿布とは、近世から近代にかけて世界市場を席巻したインド亜大陸の綿織物である。ベンガル地方の極めて細いモスリンや、グジャラート・コロマンデル海岸の更紗など、多様な綿布が各地で生産され、インド洋世界からヨーロッパにまで広く輸出された。これらの綿布は、色彩の鮮やかさと耐久性、洗濯のしやすさから高く評価され、衣服や室内装飾として利用された。やがてヨーロッパ諸国は、このインド綿布に対抗する形で国内綿工業を発展させ、世界経済の構造そのものを変えていくことになる。
前近代インド綿業の発展
ムガル帝国期のインドでは、温暖な気候と綿花栽培に適した環境を背景に、農村部で綿花が栽培され、都市や村落の機織り職人が糸紡ぎと機織りを担う分業体制が発達していた。ベンガルのモスリンは「霧」と形容されるほど薄く軽い高級品として知られ、グジャラートやコロマンデル海岸では、木版で模様を染め出した更紗が盛んに作られた。こうした綿布はインド内需だけでなく、ペルシア湾や紅海を経由してイスラーム世界に、さらに東では東南アジアにも輸出され、インド洋商業圏を支える主要な交易品となった。
ヨーロッパ勢力とインド産綿布
近世以降、ポルトガル・オランダ・イギリスなどのヨーロッパ勢力がインド洋交易に参入すると、インド産綿布は彼らの最重要輸入品となった。なかでもイギリス東インド会社は、沿岸部に商館や拠点を設け、インドの商人や織工に前貸しを行い、ヨーロッパ市場向けの綿布を大量に調達した。インド綿布は、ヨーロッパで従来主流であった羊毛や亜麻よりも軽くて扱いやすく、都市の中産階級から庶民にまで浸透し、衣料文化に変化をもたらした。
重商主義政策と産業革命への刺激
インド産綿布の流入は、ヨーロッパの既存繊維業に打撃を与えたため、各国政府は保護関税や輸入規制などの重商主義政策を導入した。とくにイギリスでは、インド綿布の完成品輸入を制限する一方、安価な綿糸・綿花の輸入を進め、自国に綿紡績・綿織物工業を育成する方向に転じた。この過程で紡績機・力織機などの技術革新が促され、産業革命の中心部門として綿工業が急速に発展した。すなわち、インド産綿布はヨーロッパ綿工業の競争相手であると同時に、その発展を刺激した存在でもあった。
植民地支配下での綿業の変容
やがてイギリスがインド支配を強化すると、インド経済は本国産業に従属する構造へと再編された。インドは機械化されたイギリス綿工業のための原綿供給地・市場とされ、従来の手工業的綿織物生産は急速に衰退した。農民は輸出向け綿花栽培に従事させられ、価格変動や税負担によって生活が不安定化した。このような経済的圧迫は、やがてインド大反乱をはじめとする反英運動の背景ともなり、植民地支配の矛盾を鋭く露呈させた。
世界経済とインド産綿布の歴史的意義
インド産綿布の歴史は、地域の手工業が世界市場に組み込まれ、やがて植民地支配と機械制工業によって構造的な変化を強いられていく過程を示している。インド綿業は、インド洋商業圏の繁栄、ヨーロッパ綿工業の勃興、そしてイギリス帝国による支配体制の確立といった、複数の歴史的局面を結びつける重要な要素であった。同時に、それは農民や職人の生活、地域社会の構造、国際分業のあり方に深く関わり、近代世界経済の形成を理解するうえで不可欠なテーマとなっている。