THD|高調波歪みの総合評価指標

THD

THD(Total Harmonic Distortion, 全高調波歪率)は、基波成分に対する高調波成分の実効値の割合を示す指標である。電圧・電流・音響信号など、周期信号の非線形歪みを定量化するために用いられ、電力品質、電源設計、モータ駆動、オーディオ、通信まで幅広く利用される。一般式は「THD = √(V3²+V4²+…)/V1」や「THD = √(I2²+I3²+…)/I1」で表され、分母は基波(1次)の実効値である。パーセント表示(%)やdB表示(20log10(THD))が使われる。実務ではFFT解析や専用アナライザにより、測定帯域・窓関数・平均化方法を規定して求めるのが通例である。

定義と式

周期信号x(t)をフーリエ級数で表すと、基波x1と高調波xn(n≥2)に分解できる。電圧の場合「THD_V = √(Σ_{n=2..N} Vn²)/V1」、電流の場合「THD_I = √(Σ_{n=2..N} In²)/I1」と定義する。ここでVn, Inはn次高調波の実効値、V1, I1は基波の実効値である。分母を全体の実効値で割る拡張定義(THD_R = √(Σ_{n=2..N} Vn²)/V_rms)も存在し、規格や業界で使い分けがあるため、どの定義を採用しているかの明示が望ましい。DC成分は一般に除外し、測定帯域と次数上限Nは用途に応じて設定する。

  • 基波: 周波数f1の成分(多くは50/60Hzや搬送波近傍)。
  • 高調波: 2f1, 3f1, … の整数倍周波数成分。
  • 実効値: RMS(root mean square)。
  • dB表記: 20log10(THD)。-40dBは1%に相当。

測定手法と実務上の注意

THD測定はFFTが主流であるが、窓関数・分解能・平均化・帯域設定・アンチエイリアスなどの前処理が精度を左右する。周期同期(例えば電源50/60Hzの整数周期サンプリング)をとると漏れ(leakage)を抑えられる。実機ではインターハーモニクス(非整数倍)やフリッカ、突発的トランジェントが重畳するため、時間窓の長さや外れ値処理も重要である。フィルタで搬送波リップルを十分に減衰させてから低周波のTHDを評価するなど、目的帯域を明確化することが肝要である。

  • サンプリング: fsは対象最高次×f1の少なくとも数倍。
  • 窓関数: Hanning等を用途で選定、可能なら整周期サンプリング。
  • 帯域: 規格に合わせた上限次数(例: 40次, 50次など)。
  • 平均化: 移動平均/ブロック平均で安定化。

電力変換・配電系での意味

整流器やインバータは非線形負荷となり電流波形をひずませる。電源電圧が正弦波で、基波の位相差をφ1とすると、力率PFは「PF = (I1/Irms)·cosφ1 = cosφ1/√(1+THD_I²)」で表せる。すなわち電流THDが大きいほどPFは低下し、配電損失と電圧ひずみを増大させる。PFC(power factor correction)、多相インターリーブ、トーテムポール整流、パッシブL–Cフィルタ、アクティブフィルタ等はTHD低減の主要手段である。モータ駆動ではトルクリップルや発熱の観点から電流THD低減が重要になる。

  • PFC制御: 電流を正弦化しTHD_Iを抑制。
  • パッシブ対策: 入力リアクトルやL–Cで高調波を減衰。
  • スイッチング: デッドタイム/ドライブ最適化、スナバで波形改善。

オーディオ・通信分野での扱い

オーディオでは「THD」および「THD+N(歪み+雑音)」が用いられる。クラスAやクラスAB、クラスDなど回路方式により歪み要因が異なり、帰還やバイアス最適化、出力段のリニアリティ改善が鍵である。またTHDが低いだけで主観的な忠実度が決まるわけではない。周波数応答、IMD(相互変調歪)、ダイナミックレンジ、S/Nなどを併読して総合評価するのが合理的である。通信分野では送受信機の非線形性が隣接チャネル漏洩や変調精度に影響し、EVMやACLRと並んでTHDが設計指標となる。

規格・ガイドラインの概要

電力系ではPCC(公共連系点)での電圧THDや各次高調波の上限、設備ごとの高調波電流限度がガイドされる。代表的にはIEEEやIECでの枠組みがあり、電圧THDは数%以下が一般的な目標である。機器単体の規制では、消費電力や用途区分ごとに高調波電流の上限値・測定手順・帯域定義が細かく定められる。個別の数値は規格版数や系統条件で変わるため、対象地域と系統事業者の技術要件を必ず参照して設計・評価を行うべきである。

低減設計の考え方

THD低減は「波形の正弦化」「非線形要因の抑制」「フィルタリング」の三本柱で整理できる。電力用途ではPFC制御(平均電流/電圧モード、デジタルPFC)、多相化によるリップルキャンセル、入力フィルタの整合設計(インピーダンスマッチングと安定性配慮)、スイッチング過渡の整形(スナバ、ソフトスイッチング)が効く。オーディオでは適切な帰還量、広帯域なドライバ、出力段の歪補償、電源リップルの抑制が有効である。測定系の直線性やノイズフロアを事前に検証し、装置自身のTHD寄与を補正・控除することも重要である。

簡単な計算例

V1=100V_rms、V3=10V_rms、V5=5V_rmsとする。高調波実効値は√(10²+5²)=√125=11.180…となるため、THD_V=11.180/100=0.1118(≒11.18%)。dB表記は20log10(0.1118)=20×(-0.951…)=約-19.0dBである。ここで次数上限や帯域を変えると値は変動するため、評価条件の明記が不可欠である。

評価上の落とし穴

DC成分の取扱い、測定帯域の不足、DFT漏れ、インターハーモニクスの混在、突発ノイズの混入はTHDを過大/過小評価させる代表的要因である。さらに、電流THDの改善が常に電圧THDの改善に直結しない点にも注意する(系統インピーダンスと他機器の相互作用による)。評価書には、定義(基波割りか全体割りか)、次数上限、サンプル長、窓関数、平均化、帯域フィルタの仕様を必ず記すことが望ましい。