水素脆化|水素で金属が粘りを失い割れる現象

水素脆化

水素脆化とは、金属内部に入り込んだ水素原子によって延性や靱性が低下し、本来の強度よりはるかに低い応力で割れる現象である。英語では hydrogen embrittlement と呼ばれる。特に引張強さが 1000 MPa を超える高張力鋼で起こりやすい。荷重をかけてから数時間〜数年後に突然破断する遅れ破壊の主な原因とされ、ボルト、ばね、圧力容器、パイプラインなど多くの製品で、設計と製造の両面に関わる大きなリスクとなっている。

発見の経緯と国内のボルト事故

記録に残る最初の報告は、1875年に英国の W. H. ジョンソンが王立協会紀要に発表したものとされる。鉄線を塩酸や硫酸に浸すと、見た目は変わらないのに曲げると極端にもろくなることを示し、乾燥させて放置すると性質が戻ることも確かめた。日本でこの問題が広く知られたのは1960〜1970年代である。橋梁や鉄骨建築の摩擦接合に使われた高力ボルトのうち、引張強さ 1300 MPa 級の F13T で遅れ破壊が相次いだ。その結果、F13T は JIS B 1186 から削除された。現在の主力は F10T で、F11T も「なるべく使用しない」という扱いになっている。強度を上げるほど水素に弱くなるという認識は、この経験を通じて業界に定着した。

水素はどこから入るのか

鋼に入る水素は、製造工程で入る「内部水素」と、使用環境から入る「外部水素」に分けると整理しやすい。主な侵入源は次の6つである。

  • 酸洗い:スケールを落とす際に酸と鉄が反応し、表面に原子状の水素が発生する
  • 電気めっき:亜鉛めっきやクロムめっきでは、陰極の反応で水素が一緒に発生する
  • 溶接:被覆剤やフラックスに含まれる水分、母材表面の油分が溶融池で分解する
  • 腐食・カソード防食:海水中の腐食反応や、防食電流のかけすぎ(過防食)で表面に水素が供給される
  • 硫化水素環境:石油・ガス井では H2S が水素原子どうしの結合を妨げるため、鋼に入る水素の量が大きく増える
  • 高圧水素ガス:燃料電池車向けの貯蔵設備では、数十 MPa の水素に常にさらされる

シーベルツの法則

水素ガスは、金属の表面で水素分子が2つの原子に分かれてから吸収される。このため、金属に溶け込む量は圧力の平方根に比例する。これをシーベルツの法則といい、C = K・√p(C:固溶水素濃度、K:温度で決まる定数、p:水素分圧)で表す。圧力を100倍にしても、溶け込む量は10倍にしかならない。とはいえ 70 MPa 級の容器には大気圧の約700倍の圧力がかかり、固溶量は大気圧の約26倍になるため、決して無視できない。

割れが起きる仕組み

水素原子は非常に小さく、室温でも鉄の結晶格子の中を動き回る。フェライト鋼での拡散係数は 10-9 m2/s 前後に達する。水素は、引張応力が高い切欠きの底やき裂の先端に集まりやすく、そこで局所的に濃くなる。その場所で何が起きているかについては、今も複数の説がある。HEDE(水素助長脱結合)説では、水素が原子どうしの結合力を弱め、粒界や劈開面が開きやすくなると考える。HELP(水素助長局所塑性)説では、水素によって転位が動きやすくなり、ごく狭い範囲に塑性変形が集中して壊れると説明する。南雲道彦らが2000年前後に提唱した HESIV(水素助長ひずみ誘起空孔)説は、水素が原子空孔の発生を促す点に注目している。実際の破壊は、材料や応力のかかり方に応じてこれらが組み合わさったものとみられている。破面には、粒界割れや擬へき開がよく見られる。

材料による感受性の違い

同じ鉄鋼材料でも、結晶構造によって水素への強さは大きく変わる。体心立方構造のフェライトやマルテンサイトは水素が速く拡散する。これに対し、面心立方構造のオーステナイト系ステンレス鋼は拡散が遅いうえ、水素を多く固溶できるため脆化しにくい。ただし SUS304 は、加工の際にマルテンサイトへ変態して感受性が高まる。そのため、高圧水素の配管にはニッケル量を高めに管理した SUS316L が選ばれる。材料費は割高になるが、継手の交換頻度や検査の手間まで含めると、316L の方が安く済むと判断する事業者が多い。

材料 主な結晶構造 室温での水素拡散係数(目安) 感受性
焼入れ焼戻し鋼(SCM435 など) 体心正方(マルテンサイト) 10-11〜10-10 m2/s 強度が高いほど高い
低炭素フェライト鋼 体心立方 10-9〜10-8 m2/s 比較的低い
SUS316L 面心立方 10-16 m2/s 前後 低い
SUS304 面心立方(加工で一部がマルテンサイトに変わる) 10-16 m2/s 前後 中程度
チタン合金 六方晶・体心立方 相によって大きく異なる 水素化物ができて脆化する

感受性を評価する試験

水素脆化は外観検査では見つからないため、試験片や実際の部品を使って評価する。研究・開発でよく使われるのが低ひずみ速度引張試験(SSRT)である。10-6 s-1 程度のゆっくりした速度で引っ張り、水素を入れた材料と入れていない材料とで、絞りや破断伸びを比べる。ねじ部品の工程管理では、ISO 15330 の予張力試験を使う。部品を締め付けたまま48時間以上置き、破断しないかを確かめる方法である。めっき工程の評価には、ASTM F519 の切欠き試験片がよく使われる。鋼中の水素量は昇温脱離分析(TDS)で測ることができ、おおむね 200 ℃以下で出てくる水素を拡散性水素として扱う。

製造現場での対策と実務上の判断

電気めっき品の対策として最も広く行われているのが、めっきの直後に加熱して水素を追い出す脱水素処理(ベーキング)である。ISO 4042 では、めっき後なるべく早く、目安として4時間以内に 190〜220 ℃で数時間〜24時間加熱することを求めている。めっき業者に依頼すると炉を使う時間が長くなるため、納期は1日ほど延び、加工費も上乗せされる。そこで、強度区分 12.9 のねじのように硬さが高い部品では、はじめから水素が発生しない亜鉛フレーク塗装(ISO 10683)や機械めっきを選ぶ設計者も多い。もう一つ注意したいのが工程の順番である。ベーキングはクロメート処理より前に行わなければならず、順番を間違えると皮膜の耐食性が大きく下がる。図面に書く処理の指示は、部品ごとに見直しておきたい。

溶接部の低温割れ

溶接では、溶接金属に入った水素が冷えていく間に熱影響部の硬い組織へ移動し、溶接後数時間〜数日たってから低温割れを起こす。拡散性水素の量は JIS Z 3118 のガスクロマトグラフ法で測定する。低水素系溶接棒では、溶着金属 100 g あたり数 mL 程度に抑えられている。現場では、溶接棒を 300〜400 ℃で再乾燥し、板厚や炭素当量に応じて 100〜150 ℃程度の予熱を行うのが基本である。割れやすさの確認には、JIS Z 3158 の y形溶接割れ試験を使う。

硫化水素環境と水素インフラの材料選定

油井やガスパイプラインでは、硫化水素を含む湿った環境で起こる硫化物応力割れ(SSC)や水素誘起割れ(HIC)が昔から問題になってきた。これらは応力腐食割れの一種として扱われることもある。NACE MR0175/ISO 15156 では、炭素鋼と低合金鋼の硬さを 22 HRC 以下に制限している。HIC の評価には NACE TM0284 を使う。近年は燃料電池自動車の普及に伴い、82 MPa 級の水素ステーションで使う蓄圧器、配管、バルブの材料選びが新しい課題になった。国内では、高圧ガス保安法に基づく例示基準で、使える鋼種とその条件が決められている。新しい鋼種を使うには、水素中での引張試験や疲労試験のデータをそろえて評価を受けなければならない。蓄圧器には SCM435 などの低合金鋼、配管や継手には SUS316L が多く使われ、どちらも水素脆化が起こることを前提に強度が設計されている。

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