おもろそうし
おもろそうしは、琉球王国において16世紀から17世紀にかけて編纂された、沖縄最古の歌謡集である。ひらがなを主とした表記で、1,553首の「おもろ」と呼ばれる歌が全22巻に収められている。王府による国家的事業としてまとめられたこの記録は、当時の言語、祭祀、歴史、そして人々の精神構造を知るための第一級の資料であり、日本の古典文学における万葉集に匹敵する価値を持つとされる。収録された歌は、神への祈りや王の徳を讃えるものから、英雄の武勲、美しい風景の描写まで多岐にわたる。
名称と「おもろ」の意味
おもろそうしの「おもろ」とは、神事や祭祀において神に捧げられる歌謡の総称である。語源は「思い(おもい)」が転じた「おむい」であり、人々の心の内にある願いや感謝を言葉にして表すことを意味している。「さうし(草紙)」は書物を指すため、直訳すれば「おもろの書」という意味になる。おもろそうしに収められた歌の多くは、元来、特定の節回しや楽器を伴って歌われる芸能の一部であったが、文字として記録されることで文学的な結実を見た。これらは日本の古事記や日本書紀に見られる「歌謡」と同様に、神話的世界観と現実の歴史が交錯する独自の文芸性を備えている。
編纂の過程と構成
おもろそうしの編纂は、琉球王府の主導により、1531年から1623年にかけての約90年間にわたり三段階で行われた。これは琉球が独自の国家体制を確立し、文化的なアイデンティティを形成しようとした時期と重なっている。特に第二期以降は、島津氏による琉球侵攻(1609年)という激動の時代を経て進められた点が注目される。
| 編纂期 | 年号 | 王代 | 主な内容 |
|---|---|---|---|
| 第一期 | 1531年 | 尚真王 | 巻1から巻2の編纂。王権の確立期。 |
| 第二期 | 1613年 | 尚寧王 | 巻3から巻11の編纂。島津侵攻後の整理。 |
| 第三期 | 1623年 | 尚豊王 | 巻12から巻22の編纂。全体の完成。 |
表記と文学的特徴
おもろそうしの最大の特徴は、当時すでに確立されていたひらがなを中心とした独自の表記体系にある。漢字は人名や地名などの固有名詞に限定的に使用され、大部分が和文(かな)で綴られている。これは、琉球が古くから日本本土との文化交流があり、かな文字を主体的に受け入れていた証左でもある。
歌の構造と表現
おもろそうしの歌は、五七五の短歌形式とは異なり、自由な句数とリズムを持つ長歌的な性格が強い。また、「対句」や「リフレイン(畳句)」が多用される点も特徴的である。
- 神々が降臨する様子を写実的かつ幻想的に描く叙事詩的側面。
- 国王(首里天王)を太陽になぞらえ、その神聖性を強調する政治的詩学。
- 大陸や東南アジアとの中継貿易で栄えた「大交易時代」の活力を反映した躍動感。
- 沖縄県独自の自然観に基づく、海や森への敬畏の念。
歴史的背景と意義
おもろそうしが編纂された背景には、琉球王国が自らの歴史と正当性を文字として固定化しようとする強い意志があった。特に尚真王から尚豊王に至る時期は、国家の儀礼が整備され、中央集権化が進んだ時代である。おもろそうしは、単なる歌集ではなく、王権を支える神学的・思想的基盤としての役割を果たした。江戸時代を通じて琉球王府で厳重に保管されていたが、近代以降は伊波普猷らによる「沖縄学」の成立とともに、言語学や民俗学の視点から再評価が進んだ。
日本古典文学との関係
おもろそうしは、しばしば「南島の万葉集」と称される。これは、素朴で力強い感情表現や、自然崇拝に基づいた原始的な宗教観が共通しているためである。しかし、琉球独自の神名や語彙(古語)が豊富に含まれており、日本本土の文学とは異なる独自の進化を遂げた部分も大きい。
- 祝詞(のりと)に近い、神との対話を重視した言霊信仰の反映。
- 徳川家康が開いた幕府との外交関係の中で、文化的な自律性を守る象徴となった。
- 薩摩藩の支配下においても、王国の誇りとして密かに、かつ誇り高く語り継がれた。
- 現代の組踊や沖縄民謡の源流をたどる上で欠かせない基礎資料。
保存と継承
第二次世界大戦における沖縄戦により、多くの原本や関連資料が失われたが、写本などの努力によって今日までその内容は伝えられている。おもろそうしの研究は、現在も解読が進められており、消え去った古琉球の言葉を現代に蘇らせる貴重な鍵となっている。この書物は、琉球・沖縄の歴史の深層を語り続ける生きた古典であり、アジア文化圏における多様な文学のあり方を象徴する存在といえるだろう。