往来物
往来物(おうらいもの)とは、日本において平安時代末期から明治時代初期にかけて、主として初等教育段階で用いられた教科書の総称である。名称の由来は、初期の形態が書簡(手紙)の往復(往信と来信)を模した形式をとっていたことにある。当初は貴族や僧侶の間で、教養としての書止や語彙、礼法を学ぶために編纂されたが、中世以降は武士層へ、さらに江戸時代には庶民層へと普及し、日本人の識字率向上と文化の平準化に極めて重要な役割を果たした。
往来物の起源と中世の展開
往来物の歴史は古く、院政期に成立したとされる藤原明衡編の『明衡往来』(別名『雲州往来』)がその代表的な先駆けである。当時の内容は、主に貴族社会における年中行事や進物、消息の作法を学ぶためのものであった。その後、鎌倉時代から室町時代にかけては、禅僧や武士の教育用として、より実用的な語彙や道徳的な内容を含むものが増加した。特に南北朝時代に成立したとされる『庭訓往来』は、衣食住、職業、宗教、武具など広範な知識を網羅しており、中世から近世を通じて往来物のスタンダードとして重用された。
江戸時代における多様化と普及
江戸時代に入ると、平和な社会情勢を背景に寺子屋が全国的に普及し、庶民の教育需要が爆発的に高まった。これに伴い、往来物の内容も多様な専門分野へと分化し、以下のような実用的な教科書が数多く出版された。
- 地域・地理:『江戸往来』『都往来』『商売往来』など、地名や特産品を学ぶもの。
- 職業・実業:『農業往来』『職人往来』など、各職業に必要な専門用語を扱うもの。
- 道徳・しつけ:『実語教』『童子教』など、儒教的・仏教的な道徳観を説くもの。
- 女性教育:『女大学』『女手習』など、女子向けの作法や心構えを記したもの。
往来物の構成と教育的機能
往来物の基本的な構造は、単なる知識の伝達にとどまらず、実生活に即した文例の学習を兼ねていた。多くは手紙の形式をとっており、季節の挨拶から始まり、本題、そして結びの言葉に至るまでの定型文を繰り返すことで、当時の社会人として不可欠な礼法を身につけられるようになっていた。また、当時の学習法は「手本」を書き写す「手習い」が中心であったため、往来物は「読み」の教科書であると同時に「書き」のお手本としての役割も担っていた。
主な往来物の分類
多種多様な往来物は、その記述内容や目的によって分類される。単一の知識を教えるものだけでなく、複数の知識を組み合わせた百科事典的な性質を持つものも少なくなかった。
| 分類 | 代表的な書名 | 主な学習内容 |
|---|---|---|
| 総合往来 | 庭訓往来 | 一般教養、年中行事、衣食住 |
| 地理往来 | 国尽・江戸往来 | 全国の旧国名、都市の地名、名所 |
| 産業往来 | 農業往来・商売往来 | 農具、作物、商品の名称、取引慣行 |
| 教訓往来 | 実語教・童子教 | 修身、道徳、基本的な倫理観 |
読み書き能力の向上と社会への影響
往来物による教育の普及は、日本の読み書き能力を世界的に見ても高い水準に引き上げた。特に庶民の間で『商売往来』や『農業往来』が読み継がれたことで、契約書の作成や会計処理といった経済活動に必要な基礎能力が社会全体に定着した。これは、後の近代化を支える人的基盤となった。また、往来物に記された共通の語彙や知識は、地域ごとの方言や文化の壁を超えて、国民的なアイデンティティを形成する一助にもなったと考えられる。
明治維新と往来物の終焉
1872年(明治5年)の学制発布により、近代的な学校制度が導入されると、文部省によって編纂された新しい「読本」が導入されるようになった。これにより、長らく日本の教育を支えてきた往来物は、徐々に教育現場から姿を消していくこととなった。しかし、初期の近代教科書の中には、依然として往来物の形式を一部踏襲したものもあり、その教育理念や実用主義的な精神は、現代の日本教育の底流にも受け継がれているといえる。