奥州道中|江戸から陸奥へ至る五街道の主要道

奥州道中

奥州道中(おうしゅうどうちゅう)は、江戸時代に整備された五街道の一つであり、江戸の日本橋を起点として陸奥国の白河に至る幹線道路である。慶長6年(1601年)に徳川家康によって整備が開始され、承応2年(1653年)には「奥州道中」として正式に名称が固定された。江戸から下野国の宇都宮までは日光街道と共通の経路を辿り、宇都宮宿の追分で北東へ分かれ、白河宿の白河関跡付近で終点となる。総距離は約190キロメートル(約48里)におよび、道中には27の宿場が置かれていた。東北地方の諸藩が参勤交代を行う際の主要ルートとして、政治的・軍事的に極めて重要な役割を担った街道である。

歴史と名称の変遷

奥州道中の歴史は、江戸幕府による宿駅制度の整備とともに始まった。初期には「奥州街道」とも呼ばれていたが、幕府の公文書や正式な呼称としては「道中」が用いられるのが通例であった。これは、道中奉行の管轄下にある五街道を「道中」、それ以外の支道を「街道」と区別していたためである。もともとは古くからの「東山道」の一部を継承する形で整備されたが、幕府は軍事拠点としての江戸を防衛し、かつ地方大名を統制するために、一里塚の設置や道幅の拡張、宿場の伝馬制度を徹底させた。奥州道中は仙台藩の伊達氏や盛岡藩の南部氏など、北方の有力大名が江戸へ向かう唯一の官道として、幕府の威光を示す象徴的な道でもあった。

経路と主要な宿場

奥州道中の全27宿のうち、日本橋から宇都宮までの17宿は日光街道と重複している。このため、実質的に独自の新設区間となるのは宇都宮から白河までの10宿である。宇都宮宿から北上した街道は、白沢、氏家、喜連川、佐久山、大田原、鍋掛、越堀、芦野を経て、下野国と陸奥国の境に位置する白河宿へと到達する。特に宇都宮は、日光街道との分岐点として、また城下町として非常に大きな規模を誇り、交通の要衝として栄えた。一方で、宇都宮以北の区間は那須野が原の広大な原野を縦断する場所もあり、当時の旅人にとっては風雨を遮るもののない厳しい道程となることも少なくなかった。

幕府による管理と交通制度

奥州道中の管理は、万治2年(1659年)以降、江戸幕府の道中奉行が管轄した。街道の維持補修や、各宿場における伝馬(荷物輸送用の馬)の常備、飛脚の往来管理などは、幕府の厳格な規定に基づいて行われていた。各宿場には、本陣、脇本陣、旅籠が整備され、大名や公家、幕府役人の宿泊に備えていた。また、街道沿いには松や杉の並木が植えられ、夏の日差しや冬の降雪から旅人を保護する役割を果たした。一里(約4キロメートル)ごとに設置された一里塚は、旅の目安となるだけでなく、休憩場所としても機能し、奥州道中の利便性を高めていた。

参勤交代と物流の役割

奥州道中の最大の役割は、東北諸藩による参勤交代の通行路であったことである。仙台藩、盛岡藩、弘前藩などの大名行列がこの道を通ることで、沿道の宿場町は経済的に潤った。大名行列は数百人から数千人の規模に達することもあり、その通行は街道周辺の文化や物資の交流を促した。一方で、庶民の往来も盛んであり、奥州の霊場である出羽三山や恐山への参詣、あるいは松尾芭蕉のような文人による旅も行われた。芭蕉は『奥の細道』の序盤において、この奥州道中を辿りながら名所旧跡を巡り、多くの秀句を残している。

白河の関と終点

奥州道中の終点である白河は、古くから「白河関」として知られる歌枕の地であり、みちのく(陸奥)への入り口と見なされてきた。幕府の設定した五街道としての奥州道中は白河までであるが、道自体はそこからさらに北へと伸びており、仙台、盛岡を経て蝦夷地(現在の北海道)へと通じる「仙台松前道」へと繋がっていた。白河は奥州の玄関口として軍事的な重要性も高く、白河藩が置かれて厳重な監視が行われた。奥州道中を無事に通り抜け、白河の地に足を踏み入れることは、当時の旅人にとって北の大地への第一歩を意味する大きな節目であった。

近代以降の変遷と現在

明治時代に入ると、五街道制度は廃止されたが、奥州道中のルートは「国道」として再編された。現在の国道4号線は、その大部分がかつての奥州道中(および日光街道)の経路に重なっている。鉄道の開通(現在の東北本線や東北新幹線)により、徒歩による長距離移動の需要は消滅したが、街道沿いの旧宿場町には今なお古い蔵や石碑、並木の名残が点在しており、歴史的な遺構として保存されている。特に宇都宮から北の区間では、かつての宿場の面影を色濃く残す場所もあり、歴史愛好家やハイキング客による徒歩旅行が現代でも行われている。

奥州道中の主要宿場一覧

  • 宇都宮宿:日光街道との分岐点であり、奥州方面への起点。
  • 氏家宿:五行川の渡河地点であり、物資の集積地。
  • 大田原宿:城下町として栄え、那須地方の中心地。
  • 白河宿:奥州道中の終点。みちのくの玄関口。

五街道の主要諸元比較

街道名 起点 終点 宿場数 主な通過地
東海道 日本橋 京都 53 小田原、名古屋
中山道 日本橋 草津 69 軽井沢、下諏訪
日光街道 日本橋 日光 21 宇都宮
奥州道中 日本橋 白河 27 宇都宮、大田原
甲州街道 日本橋 下諏訪 45 八王子、甲府

関連する街道組織

奥州道中は単独で存在するのではなく、多くの「脇街道」や「支道」と結びついていた。例えば、白河からは仙台方面へ向かう道が続き、大田原からは棚倉へと向かう棚倉街道が分岐していた。これらのネットワークによって、江戸と東北地方全域が密接に結ばれ、情報や文化の伝達が行われたのである。幕府が奥州道中を五街道の一角に据えたことは、日本の統一的な統治機構を確立する上で不可欠な戦略的判断であった。