蝦夷
蝦夷(えみし、えぞ)とは、古代から近世にかけての日本史において、本州東部から北方の各地、および現在の北海道などに居住していた人々の呼称である。時代によってその指し示す対象や範囲は変遷しており、古代においては大和朝廷による支配が及んでいなかった東国・北国の諸部族を指し、中世以降は主に現在のアイヌの人々の先祖にあたる北方居住者を指すようになった。蝦夷は、中央政権とは異なる独自の文化や社会構造を維持し続けてきたが、国家形成の進展とともに征服や同化の対象となり、最終的には近代的な日本国家の枠組みへと組み込まれていった歴史を持つ。
古代における蝦夷の定義と実態
古代日本における蝦夷は、主に現在の関東地方北部から東北地方にかけて居住し、狩猟・採集・漁労を生活の基盤としていた人々を指す言葉であった。彼らは言語や風習、信仰において中央の朝廷とは異なる独自性を有しており、律令国家の拡大に伴って「毛人」や「蝦夷」と表記され、服属を拒む勢力として認識されるようになった。当時の朝廷側からは、文明化されていない未開の民として他者化される一方で、実際には馬産や砂金採掘、交易などを通じて中央政府と複雑な利害関係を築いていたことも明らかになっている。蝦夷は決して単一の民族集団ではなく、複数の部族や地域集団が緩やかな連合体を形成していたと考えられている。
律令国家の拡大と征夷の歴史
飛鳥時代から平安時代にかけて、朝廷は版図を北へと広げるために律令制の浸透を図り、蝦夷に対する組織的な征伐や教化政策を繰り返した。特に8世紀末から9世紀初頭にかけては、大規模な軍事衝突が激化し、これに対抗するために朝廷は「征夷大将軍」の官職を設置した。この時期、蝦夷の指導者であった阿弖流為(アテルイ)は、強力な騎馬軍団を率いて優れた戦術で対抗したが、最終的には坂上田村麻呂の軍勢に帰順することとなった。この征夷事業の結果、北上川流域までの地域が朝廷の支配下に置かれ、投降した蝦夷は「俘囚(ふしゅう)」として各地に移住させられるなど、国家の構成員として組み込まれていった。
中世から近世への変遷とアイヌ文化への移行
中世に入ると、蝦夷という呼称は主に渡島半島以北に居住する人々を指すようになり、呼称も「えぞ」と定着して、その実体は次第に現在知られるアイヌ文化の形成期へと繋がっていく。鎌倉時代から室町時代にかけて、安東氏などの北方の豪族が「蝦夷管領」として彼らを統括し、交易を通じた経済的な交流が活発化した。江戸時代には、松前藩が北海道南部に拠点を置き、蝦夷(アイヌ)との交易権を独占する体制が確立された。当初は対等な交易関係も見られたが、次第に場所請負制による収奪や不平等な交易条件が課されるようになり、これに抗議する形でシャクシャインの戦いなどの蜂起が起こったが、最終的には藩や幕府の支配力が強化されていった。
蝦夷地の社会構造と文化遺産
蝦夷が居住していた地域は、古くから「蝦夷ヶ島」や「蝦夷地」と呼ばれ、中央の行政区分である五畿七道とは区別された独自の社会空間を構成していた。彼らは独自のチセ(家屋)によるコタン(集落)を営み、自然界のあらゆるものに魂が宿ると考えるカムイ信仰を核とした豊かな精神文化を育んできた。以下に、蝦夷の社会や文化に関する主要な特徴を挙げる。
- 交易:和人との間で行われたコンブ、干しサケ、毛皮などの産品と、米、漆器、木綿などの交換。
- 信仰:イオマンテ(熊送り)などの儀礼を通じた、自然と人間との調和を重んじる世界観。
- 衣食:アトゥシ(オヒョウの樹皮を編んだ衣類)の製作や、狩猟による保存食の知恵。
- 技術:丸木舟を用いた遠距離航海術や、北方の海域を介した大陸との交易ネットワーク。
蝦夷の呼称と地域区分
| 時代区分 | 主な呼称 | 対象地域 | 政治的状況 |
|---|---|---|---|
| 古代 | えみし・毛人 | 関東・東北地方 | 朝廷との対立、律令支配の拡大 |
| 中世 | えぞ | 東北北部・北海道 | 安東氏による統括、北方交易の活性化 |
| 近世 | 蝦夷(アイヌ) | 北海道・千島・樺太 | 松前藩・江戸幕府による管理 |
| 近代 | 旧土人(明治期) | 北海道 | 北海道開拓使による同化政策 |
近代化と蝦夷地の消滅
明治維新以降、新政府は北方領土の領有権を明確にするため、「蝦夷地」を改めて「北海道」と改称し、大規模な開拓事業を推進した。これにより、かつて蝦夷と呼ばれた人々は、戸籍の編入や生活様式の変革を余儀なくされ、独自の言語や文化、狩猟慣習などが厳しく制限される同化政策の対象となった。1899年には北海道旧土人保護法が制定され、そのアイデンティティは国家的な枠組みの中で大きく変容することとなった。しかし、今日においては彼らの歴史や伝統文化を再評価する動きが強まり、2019年にはアイヌ施策推進法が施行されるなど、先住民族としての誇りを回復し、多様な文化を次世代へ継承するための取り組みが続けられている。