上杉憲政|謙信に関東管領を譲り山内上杉を託す

上杉憲政

上杉憲政(うえすぎのりまさ)は、日本の戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した武将であり、山内上杉家15代当主である。関東地方の軍事・行政を統括する要職である関東管領を世襲する名門に生まれたが、台頭する後北条氏に圧迫され、最終的には越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を養子として家督と管領職を譲った人物として知られる。彼の生涯は、旧来の権威が新興勢力によって淘汰される下剋上の時代を象徴している。また、晩年は後継者争いである御館の乱に巻き込まれ、悲劇的な最期を遂げたことでも歴史にその名を残している。

出自と家督継承の混乱

上杉憲政は大永1(1521)年、山内上杉家14代当主・上杉憲房の子として生まれた。当時の山内上杉氏は関東において絶大な権勢を誇っていたが、父の死後、家督を巡って内部対立が生じた。当初は憲房の養子であった上杉憲寛が家督を継承したが、上杉憲政を支持する家臣団が反旗を翻し、享禄4(1531)年に憲寛を追放して上杉憲政が11歳で当主および関東管領の座に就いた。この内紛は、結果として一族の結束を弱め、後の後北条氏による侵攻を許す遠因となった。若くして権力の頂点に立った上杉憲政であったが、その基盤は就任当初から不安定なものであったといえる。

北条氏康との対立と河越夜戦

天文年間に入ると、相模国の北条氏康が武蔵国への侵攻を本格化させ、上杉憲政との対立が激化した。上杉憲政は対抗策として、長年の宿敵であった扇谷上杉氏や足利義輝を奉じる古河公方・足利晴氏と連合を結成した。天文15(1546)年、連合軍は8万とも称される大軍を動員して北条方の河越城を包囲したが、氏康の奇襲作戦である「河越夜戦」によって歴史的な大敗を喫した。この戦いで扇谷上杉家は滅亡し、上杉憲政も命からがら本拠の上野国平井城へ逃げ帰ることとなった。この敗北は上杉憲政の威信を決定的に失墜させ、関東における権威の失墜を加速させる契機となった。

平井城陥落と越後への亡命

河越での敗北以降、上杉憲政の支配下にあった関東諸将は次々と北条氏に内通し、離反を繰り返した。さらに信濃国からは武田信玄の勢力が上野国に迫り、上杉憲政は挟み撃ちの状況に追い込まれた。天文21(1552)年、ついに平井城を維持することが不可能となった上杉憲政は、嫡男の龍若丸を家臣に託して越後国へと亡命した。しかし、託した龍若丸は家臣の裏切りによって北条氏に引き渡され、処刑されるという悲劇に見舞われた。かつて関東の盟主であった上杉憲政は、一介の亡命者として、越後の実力者である長尾景虎の庇護を求めるしかなかったのである。

上杉謙信への家督譲渡

越後に逃れた上杉憲政は、長尾景虎に対して関東管領の職と上杉家の名跡を譲る決断を下した。永禄4(1561)年、景虎が関東へ進軍した際、鎌倉の鶴岡八幡宮において譲渡の儀式が行われ、景虎は「上杉政虎」と改名して関東管領に就任した。これが後の上杉謙信の誕生である。上杉憲政はこの譲渡により、名門・山内上杉家の法灯を絶やすことなく、最強の武将に託すことで北条氏への復讐を試みたといえる。隠居した上杉憲政は、その後も謙信の側近として過ごし、政治的な象徴としての役割を果たし続けた。謙信もまた、先代の主君である上杉憲政に対して生涯敬意を払い続けたとされている。

御館の乱と悲劇的な死

天正6(1578)年、謙信が後継者を指名せずに急死すると、養子の上杉景勝と上杉景虎の間で家督を巡る内乱(御館の乱)が勃発した。上杉憲政は、北条氏康の七男で謙信の養子となっていた景虎を支持し、自身の居館である御館を拠点として抵抗を続けた。しかし、戦況は次第に景勝優位に傾き、天正7(1579)年に御館は陥落した。上杉憲政は景虎の長男・道満丸を伴って景勝との和議交渉に赴こうとしたが、その途中で景勝方の兵によって殺害された。享年59であった。名門の再興を願った上杉憲政の夢は、一族の相克の中で潰えることとなった。

上杉憲政の主要な略歴

年(西暦) 主な出来事
1521年 山内上杉憲房の子として誕生。
1531年 上杉憲寛を廃し、山内上杉家当主および関東管領に就任。
1546年 河越夜戦にて北条氏康に大敗。関東の覇権を失う。
1552年 平井城を脱出し、越後の長尾景虎を頼って亡命。
1561年 長尾景虎に上杉氏の家督と関東管領職を譲渡。
1579年 御館の乱にて上杉景勝の軍に殺害される。

人物像と歴史的評価

歴史上、上杉憲政は「名門を滅ぼした暗愚な当主」として語られることが多い。圧倒的な兵力を持ちながら少数の北条軍に敗れた河越夜戦の失態や、領国を守りきれずに他国へ逃亡した経緯がその要因である。しかし、近年では、崩壊寸前であった関東の旧体制を懸命に維持しようとした努力や、謙信という稀代の英雄を見出し、上杉の名を後世に残した功績も再評価されている。上杉憲政がいなければ、歴史上のヒーローである上杉謙信は存在しなかったと言っても過言ではない。彼は戦国乱世という荒波の中で、名門の意地と現実の厳しさの狭間に生きた、苦悩多き指導者であったといえるだろう。