岩戸景気
岩戸景気(いわとけいき)とは、1958年(昭和33年)7月から1961年(昭和36年)12月までの42ヶ月間にわたり続いた、日本の戦後経済における大型景気拡大期の通称である。それ以前の戦後最大と言われた「神武景気」を上回る活況を呈し、日本が本格的な高度経済成長の時代に突入したことを象徴する時期として位置づけられている。この期間、実質経済成長率は年平均で10%を超え、国民の生活水準は劇的な向上を見せた。技術革新による設備投資の増大と、それに伴う雇用・所得の拡大、そして「消費革命」と呼ばれる大衆消費の盛り上がりが相乗効果を生み、日本経済は未曾有の繁栄を享受することとなったのである。
名称の由来と歴史的背景
「岩戸景気」という名称は、当時の日本経済の勢いが、日本神話における「天の岩戸」以来、かつてないほど素晴らしいものであるという意味を込めて命名された。1950年代半ばの「もはや戦後ではない」という経済白書の宣言を経て、日本は復興期から成長期へと移行していた。1957年の「なべ底不況」を脱した後に始まったこの好景気は、当初の予想を遥かに超える規模となり、神武天皇即位以来の好景気とされた前回の景気を凌駕したことから、さらに遡った神話の時代の比喩が用いられるに至ったのである。この時期の経済発展は、後に続く「いざなぎ景気」への重要な布石となった。
投資が投資を呼ぶメカニズム
岩戸景気を牽引した主動力の一つは、企業の旺盛な設備投資であった。当時の経済白書で「投資が投資を呼ぶ」と表現された通り、製造業を中心とした各企業は、国際競争力の強化と生産性向上のために積極的な機械導入や工場建設を行った。
- 重化学工業化の進展:鉄鋼、石油化学、工作機械などの分野での大規模な投資。
- 技術革新(イノベーション):欧米からの技術導入による生産効率の劇的向上。
- 波及効果:基幹産業の成長が、関連する中小企業の受注拡大を招く好循環。
- 労働力の移動:農村部から都市部の工場へ大量の若年労働者が流入(集団就職)。
このように、産業構造そのものが近代化され、重厚長大産業が経済の屋台骨として確立されたのが岩戸景気の特徴である。
池田内閣と国民所得倍増計画
1960年(昭和35年)に発足した池田勇人内閣は、政治的混乱(安保闘争)後の国民の関心を経済に向けさせるため、「所得倍増計画」を打ち出した。これは、10年以内に国民総生産(GNP)を2倍にすることを目標とした積極的な成長政策であった。岩戸景気の後半はこの計画の推進と重なり、政府による公共投資の拡大や減税措置、低金利政策などが経済成長を強力にバックアップした。国民の間には「明日より明後日はもっと豊かになる」という強い成長への期待が共有され、それが更なる投資と消費を刺激するという心理的側面も大きく寄与したのである。
消費革命と三種の神器
岩戸景気のもう一つの側面は、大衆の生活様式を根底から変えた「消費革命」である。労働者の賃金上昇に伴い、それまで高嶺の花であった耐久消費財が一般家庭に急速に普及し始めた。
- 白黒テレビ:皇太子(現上皇)のご成婚(1959年)を機に爆発的に普及。
- 電気洗濯機:家事労働の負担を大幅に軽減し、女性の社会進出の基盤を作った。
- 電気冷蔵庫:食生活の多様化と保存性の向上をもたらし、生活習慣を一変させた。
これらは「三種の神器」と呼ばれ、豊かな生活の象徴となった。消費者がこれらの製品を買い求めることで、電機メーカーや化学メーカーがさらに潤い、再び雇用と所得が増えるというサイクルが岩戸景気の勢いを加速させたのである。
生活文化の変容
消費革命は単なる物品の購入に留まらず、余暇の楽しみ方や食生活にも変化をもたらした。インスタントラーメンの登場やスーパーマーケットの台頭、さらには映画や観光旅行といったレジャー産業の萌芽も岩戸景気の時代に見られた現象である。都市部には団地が次々と建設され、現代的なライフスタイルが定着していった。
エネルギー革命の進展
岩戸景気の最中、日本の産業基盤を支えるエネルギー源に大きな転換が起きた。それまでの主役であった石炭に代わり、安価で輸送効率の良い石油が主要なエネルギー源となる「エネルギー革命」である。これにより、石炭産業(炭鉱)は衰退の一途を辿ることとなったが、石油化学工業の発展は多種多様なプラスチック製品や合成繊維を生み出し、日本の工業製品の幅を広げることに貢献した。この構造転換は、岩戸景気を支えた生産性の向上に不可欠な要素であったと言える。
景気の終焉と国際収支の壁
絶好調を維持していた岩戸景気も、最終的には「国際収支の天井」という問題に直面することとなった。経済が過熱すると、原材料や燃料の輸入が急増し、外貨準備高が減少する。当時の固定相場制下では、外貨不足は通貨の安定を脅かす深刻な問題であった。
| 項目 | 景気拡大期(1958-1961) | 景気後退の要因 |
|---|---|---|
| 主な牽引役 | 民間設備投資・個人消費 | 輸入急増による経常収支悪化 |
| 政府の対応 | 所得倍増計画の推進 | 日本銀行による公定歩合引き上げ |
| 終息の形 | 緩やかな調整(金融引き締め) | 設備投資の一服と在庫調整 |
1961年に入ると、国際収支の悪化を受けて金融引き締め政策が実施され、岩戸景気は同年12月に終焉を迎えた。その後、一時的な調整期(1962年の不況)を経て、日本経済はオリンピック景気へと再び成長を続けていくこととなる。
岩戸景気の歴史的意義
岩戸景気は、単なる一時的な好況ではなく、日本が「先進国」としての地位を固めるための跳躍台であった。この時期に構築された重化学工業の生産体制や、広範な中間層による国内消費市場は、その後の日本の繁栄の基礎となった。また、急速な成長は公害問題や都市過密、地域格差といった新たな社会課題も顕在化させたが、それでもなお、岩戸景気がもたらした「豊かさの実感」は、戦後日本人のアイデンティティ形成に多大な影響を与えたのである。