犬山城
犬山城は、愛知県犬山市に所在する日本の城跡であり、その天守は文化財保護法に基づき国宝に指定されている。木曽川南岸の標高約88メートルの断崖上に位置する後堅固の城であり、別名「白帝城」とも呼ばれる。現存する天守の中では日本最古級の様式を備えており、江戸時代までに建造された「現存12天守」の一つとして極めて高い歴史的・建築的価値を有している。尾張国と美濃国の境に位置する軍事上の要衝として、戦国時代には織田氏、豊臣氏、徳川氏による激しい争奪戦の舞台となった。近代以降は全国でも珍しい「個人所有の城」として長らく維持されてきたが、現在は公益財団法人犬山城白帝文庫が所有・管理を行い、その歴史的景観を後世に伝えている。
歴史と沿革
犬山城の起源は、天文6年(1537年)に織田信長の叔父である織田信康が、木下城を移して築城したことに始まると伝えられている。戦国時代を通じて、木曽川沿いの交易と軍事の拠点として重要視され、池田恒興や石川貞清など有力な武将が城主を務めた。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおいては西軍の拠点となったが、戦後は徳川家康の支配下に入り、小笠原吉次や平岩親吉が城主となった。元和3年(1617年)、尾張藩付家老の成瀬正成が城主となって以降、明治維新に至るまで成瀬氏9代の居城として受け継がれた。江戸時代を通じて、尾張藩の北の守りとして、また経済的な要衝として繁栄を極めたのである。
建築的特徴と構造
犬山城天守の構造は、外観3重、内部4階、地下2階からなる望楼型天守である。1階と2階を基部とし、その上に一回り小さな望楼を載せた初期の天守様式を色濃く残している。特に最上階の高欄と廻縁は、実際に外に出て周囲を眺望できる構造となっており、これは現存天守の中でも古い形式を示す貴重な遺構である。建築年代については諸説あるが、近年の年輪年代測定調査によれば、1580年代には現在の天守の骨組みが完成していた可能性が高いことが判明している。石垣は「野面積み」と呼ばれる、未加工の自然石を積み上げる技法で構築されており、排水性に優れ、堅牢な基盤を形成している。
近代の変遷と保存
明治維新後の明治6年(1873年)、政府から出された廃城令により、犬山城の櫓や門の多くが取り壊され、天守のみが残されることとなった。明治24年(1891年)の濃尾地震により天守は大きな被害を受けたが、愛知県は「修復して保存すること」を条件に、旧城主である成瀬家に無償で譲渡した。これにより、犬山城は全国でも類を見ない個人所有の城として存続することとなった。昭和10年(1935年)には国宝保存法により旧国宝に指定され、昭和27年(1952年)の新文化財保護法制定に伴い改めて国宝に指定された。平成16年(2004年)には、成瀬家個人による所有から、新たに設立された公益財団法人犬山城白帝文庫へと所有権が移管され、公共の文化遺産としての管理体制が整えられた。
眺望と地理的環境
犬山城の最大の特徴の一つは、その立地を生かした絶景にある。城の北側を流れる木曽川は、城郭を保護する天然の堀として機能しており、断崖絶壁に建つ姿は中国の長江沿いにある白帝城に例えられ、江戸時代の儒学者・荻生徂徠によって命名されたと伝えられている。天守最上階からは、南に濃尾平野が一望でき、北には木曽川の清流とその先に広がる美濃の山々を望むことができる。この優れた景観は、軍事的な監視能力の高さを示すと同時に、現代においては観光資源としての大きな魅力となっている。また、春には城周辺に植えられた多くの桜が咲き誇り、秋には紅葉が城壁を彩るなど、四季折々の風情を楽しむことができる。
五大国宝城郭
現在、日本国内で天守が国宝に指定されている城は、犬山城を含めてわずか5つのみである。これらの城は、歴史的価値、建築技術、保存状態のすべてにおいて日本の城郭建築の頂点に立つものとされている。以下の表は、これら「国宝五城」の概要をまとめたものである。
| 城郭名 | 所在地 | 天守の形式 | 主な特徴 |
|---|---|---|---|
| 犬山城 | 愛知県犬山市 | 望楼型 | 現存最古級の天守様式を持つ |
| 姫路城 | 兵庫県姫路市 | 連立式 | 世界文化遺産であり「白鷺城」と称される |
| 松本城 | 長野県松本市 | 連結複合式 | 漆黒の壁面を持つ美しい平城 |
| 彦根城 | 滋賀県彦根市 | 複合式 | 多様な屋根の装飾が施された華麗な天守 |
| 松江城 | 島根県松江市 | 複合式望楼型 | 実戦本位の堅牢な構造を持つ |
成瀬氏と犬山城の関係
成瀬氏はもともと三河国の武士であり、成瀬正成は徳川家康の側近として功績を挙げた。家康の九男・徳川義直が尾張藩主となった際、正成は付家老として義直を補佐する役割を担い、その領地として犬山城を与えられた。付家老は藩主を監視・指導する立場にあり、幕府と藩の橋渡し役を担う重要な役職であった。成瀬氏は代々、犬山領3万石を領する大名格の待遇を受け、その格式に見合う城下町の整備も進めた。現在も残る犬山の城下町は、成瀬氏の時代に完成した町割りが基本となっており、歴史的な街並みが保存されている。
観覧情報とアクセス
- 開門時間:午前9時から午後5時(最終入場は午後4時30分)
- 休業日:12月29日から12月31日
- 入場料:大人550円、小・中学生110円(団体割引あり)
- アクセス:名鉄「犬山遊園駅」または「犬山駅」より徒歩約15〜20分
略年表
- 1537年(天文6年):織田信康により現在の場所に築城される。
- 1617年(元和3年):成瀬正成が城主となり、幕末まで成瀬氏の居城となる。
- 1891年(明治24年):濃尾地震により天守の半分が損壊する。
- 1952年(昭和27年):文化財保護法により改めて国宝に指定される。
犬山城は、木曽川の急流に臨む断崖に立ち、その峻険な地勢はまさに要害の名にふさわしい。現存する最古の木造天守を歩けば、四百数十年の歳月を重ねた木の温もりと、武家文化の力強さを肌で感じることができる。