稲荷山古墳|金錯銘鉄剣が物語る古代日本の足跡

稲荷山古墳

稲荷山古墳(いなりやまこふん)は、埼玉県行田市にある「埼玉古墳群」を代表する大型の前方後円墳である。5世紀後半に築造されたと考えられており、1968年の発掘調査によって発見された「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は、日本古代史の謎を解く一級の史料として、一括して国宝に指定されている。この鉄剣の銘文には「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」、すなわち雄略天皇に相当する王の名が刻まれており、ヤマト王権の支配が関東地方まで及んでいたことを裏付ける決定的な証拠となった。稲荷山古墳は、地方豪族と中央王権の密接な関係を示す記念碑的な遺跡であり、現在も多くの歴史研究者や観光客を引きつけている。

墳丘の構造と規模

稲荷山古墳は、全長約120メートルの規模を誇り、埼玉古墳群の中で最も早く築造されたと考えられている。墳丘は2段に築かれており、周囲には長方形の二重の周堀(しゅうごり)が巡らされているのが特徴である。前方部が広く発達した形態は、当時の近畿地方の大型古墳と共通する設計思想が見られ、中央文化の影響を強く受けていることを示している。後円部の頂上には、礫(石)を敷き詰めた「礫郭(れきかく)」と、粘土で覆った「粘土郭」という2つの埋葬施設が確認されており、被葬者の権力の大きさがうかがえる。

金錯銘鉄剣の発見とその意義

1968年の調査で礫郭から発見された鉄剣には、当初サビが激しく銘文の存在は知られていなかったが、1978年の保存処理過程で115文字の金象嵌(きんぞうがん)銘文が発見された。銘文には、鉄剣を製作させた「ヲワケ臣」の家系図と、彼が仕えた「ワカタケル大王」の功績が記されている。日本書紀や『古事記』の記述と考古学的な発見が一致した稀有な例であり、稲荷山古墳の名を一躍有名にした。これにより、5世紀後半にはすでに広域的な統治体制が整っていたとする「ヤマト王権統一説」が有力視されるようになった。

出土遺物と文化財

稲荷山古墳からの出土品は、鉄剣以外にも多岐にわたり、古代の軍事や外交、生活を物語る貴重な資料群となっている。鉄剣とともに副葬されていた主な遺物は以下の通りである。これらの文化財は、現在、埼玉県立さきたま史跡の博物館で大切に保管・展示されている。

  • 金錯銘鉄剣(115文字の金象嵌銘文がある鉄剣
  • 神獣鏡(中国製または模倣された青銅鏡)
  • 帯金具(金銅製の豪華なベルト飾り)
  • 武具・馬具類(甲冑、刀剣、轡、鐙など)
  • 勾玉・管玉(翡翠や碧玉で作られた装身具)

歴史的背景と被葬者像

稲荷山古墳の被葬者とされる「ヲワケ臣」は、代々大王に仕えた軍事的な功労者であったと推測される。銘文によれば、彼の先祖は「意富比垝(オホヒコ)」という名で始まり、8代にわたって杖刀人(じょうとうじん)の首領として王権を支えた。これは、古墳時代における地方豪族が、単に地域を統治するだけでなく、中央に出向いて軍事奉仕を行うことで自らの地位を安定させていた実態を物語っている。稲荷山古墳の規模と副葬品の豪華さは、その奉仕に対する恩賞や、地域における卓越した地位を象徴するものである。

埼玉古墳群内での比較

埼玉古墳群には、稲荷山古墳以外にも、円墳や前方後円墳が密集しており、それぞれ異なる築造時期や特徴を持っている。以下の表は、群内の主要な古墳と稲荷山古墳を比較したものである。

古墳名 墳形 全長 築造時期(推定)
稲荷山古墳 前方後円墳 120m 5世紀後半
丸墓山古墳 円墳 105m 6世紀前半
二子山古墳 前方後円墳 138m 6世紀前半
将軍山古墳 前方後円墳 90m 6世紀後半

保存状況と史跡公園としての活用

稲荷山古墳は、かつて前方部が土取りによって一部失われていたが、現在は発掘調査の成果に基づき、造り出しを含めた本来の姿に復元整備されている。墳丘に登ることも可能で、頂上からは他の古墳を一望することができる。さきたま古墳公園内には、出土品を展示する博物館や、古民家を移築した施設もあり、地域全体の歴史を体感できる空間となっている。稲荷山古墳の保存と整備は、開発と文化財保護の両立を目指した先駆的な事例として、全国の遺跡整備のモデルケースともなっている。