リソルジメント
リソルジメントは、19世紀にイタリア半島各地で展開した政治的・軍事的・思想的運動の総称であり、分裂していた諸国家を統合して近代的な国民国家を形成しようとした過程を指す歴史用語である。ナポレオン時代とその後の保守的秩序のもとで抑圧されていたイタリア人の民族意識と自由主義思想が結びつき、最終的にイタリア王国の成立へと結実した長期の運動である。
語義と時代背景
リソルジメントはイタリア語で「再生」「復興」を意味し、中世以来政治的に分裂し、外国勢力の支配下にあったイタリアを「再び立ち上がらせる」というニュアンスを含んでいる。18世紀末のフランス革命とナポレオン1世の征服によって、イタリア半島には近代的法制度やナショナルな枠組みが一時的に導入されたが、ウィーン会議後のウィーン体制のもとで、オーストリア帝国など保守勢力が再び優位となり、旧来の諸公国・王国が復活した。この反動的秩序に対する不満が、19世紀を通じての民族統一運動を生み出したのである。
ナショナリズムと自由主義の高揚
19世紀前半のイタリアでは、ロマン主義的文化の広がりや知識人層の交流を背景に、共通の言語・歴史・文化を共有する「イタリア人」という意識が強まり、政治的統一を求めるナショナリズムが形成されていった。同時に、憲法の制定や議会制を志向する自由主義思想も浸透し、各地で秘密結社やサークルが組織され、検閲や警察権力に対抗しながら社会改革と民族独立を結びつけて唱える運動が展開された。こうした思想的潮流が、のちの武装蜂起や外交戦に理論的正当性を与えたのである。
初期の秘密結社と青年イタリア
19世紀前半のリソルジメントは、主として都市の中産階級や軍人、知識人が参加した秘密結社運動として始まった。カルボナリ(炭焼党)などの結社は、1820〜1821年、1830〜1831年の革命蜂起を各地で試みたが、オーストリア軍や保守諸政府によって鎮圧された。しかしこれらの経験は、イタリア統一にはより広範な大衆の参加と長期的組織が必要であることを示した。
- ジュゼッペ・マッツィーニは、1830年代に革命運動を再編し、青年層を中心とする大衆組織青年イタリアを結成した。
- 彼は共和政と民族自決を結びつけ、「人民のためのイタリア」を構想し、亡命先から宣伝と蜂起計画を続けた。
- マッツィーニの試みは多くが失敗に終わったが、その思想はのちの世代や地方都市の愛国団体に大きな影響を与えた。
サルデーニャ王国とカヴールの外交
1848年革命の波はイタリアにも及び、各地で立憲改革や独立を求める蜂起が起こったが、最終的には多くが挫折した。このなかで北西部のサルデーニャ=ピエモンテ王国は立憲君主制を維持し、統一運動の拠点となった。首相カヴールは、急進的共和主義ではなく立憲王政を軸とした統一戦略をとり、巧みな外交と軍備増強を進めた。彼は国際的地位を高めるためにクリミア戦争に参戦し、その後フランスとの提携によってオーストリアに対抗し、ロンバルディア獲得や中部イタリア諸邦の併合を進めたのである。
ガリバルディと南部イタリアの併合
リソルジメントにおいて、民衆的英雄として知られるのがガリバルディである。彼は義勇軍を率いて各地の解放戦に参加し、とくに1860年の「千人隊」によるシチリア上陸と南イタリア征服で名声を得た。ガリバルディは当初、共和政を志向していたが、イタリア統一の大義のためにサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世への権力移譲を受け入れ、南部の支配権を国王に引き渡した。この結果、北部と南部が統合され、全国的な枠組みが整えられた。彼の行動は、民衆の戦いと王国による統一が結びつく象徴的出来事となり、のちにガリバルディは「国家統一の英雄」と称えられるようになった。
統一の主要段階
リソルジメントによる統一は、一挙ではなく複数の段階を経て達成されたと理解されることが多い。
- 1848〜1849年革命期の蜂起と第一次イタリア独立戦争(失敗に終わるが、統一の理想が広く共有される契機となった)。
- 1859〜1860年のサルデーニャ王国とフランスによる対オーストリア戦争、および諸邦の併合。
- 1860年のガリバルディによる南部征服と国王への引き渡しによるイタリア王国宣言。
- 1866年、普墺戦争の結果としてヴェネツィアがイタリアに編入される段階。
- 1870年、フランス軍の撤退を受けてローマが占領され、翌1871年に首都とされることで統一が実質的に完了する段階。
統一後の課題と歴史的意義
統一達成後も、リソルジメントの理想がそのまま実現したわけではなかった。北部と南部の経済格差や行政制度の違いから「南部問題」が深刻化し、農民層には国家統一の利益が十分に行き渡らなかった。また、ローマ占領によって教皇領が失われたことで、世俗国家とカトリック教会の対立、いわゆるローマ問題が生じた。しかし、諸公国と外国支配のもとで分裂していたイタリアが、立憲君主制のもとで統一国家として成立したことは、ヨーロッパにおける民族自決と国民国家形成の流れの一部をなすものであり、ドイツ統一やその後の国際秩序にも影響を与えたと評価される。こうしてリソルジメントは、単なる軍事的事件の連続ではなく、思想・社会・外交が複雑に絡み合う長期的な歴史過程として理解されている。