四書大全
四書大全は、明の永楽年間に永楽帝の勅命で胡広らが編纂した四書(『大学』『中庸』『論語』『孟子』)の公定注釈書である。宋代に大成した朱子の学説を基調に諸家の議論を蒐集・整理し、条目ごとに本文・注・解を配列して読むべき方向を示した。刊行は永楽十三年(1415)とされ、同時に『五経大全』『性理大全』が整えられ、三者は「永楽三大全」と総称された。以後、明清期の国家試験や書院教育の規範解釈となり、朝鮮王朝の科挙や儒学教育にも深く浸透した。
成立と編纂体制
明初は王朝統治の再編期であり、経典解釈の統一は国家秩序の骨格を定める作業であった。編纂は翰林系の学士を中心に、往来する異説を取捨し、四書本文を章句単位で区切って配列、適宜に旧註を引用して「是非」の基準を提示する構えをとる。胡広は総裁的役割を担い、彼の学統に近い論理を主としつつも、異流派の議論を見出し化して読者に示す編集法を採用した。こうした手つきは、科挙の答案作法(起承転合や義理の立て方)と親和的で、学習者が解釈の標準系へ速やかにアクセスできるよう設計されている。
構成と内容
本書は四書を独立編に配し、各書で共通の体裁をとる。本文の次に語義・音訓・典拠を示し、最後に義理の大意を総括する。とくに人物発言の脈絡を重視して段落を立て、異読・通行本の差も注記で補う。条目末に付す断定的な評語は、初学者の判断の拠り所として機能し、同時に試験答案の結句(結論)を導く手がかりとなる。四書相互の往還も多く、『大学』の修斉治平と『中庸』の天命・誠、『論語』『孟子』の具体的徳目を相補させ、理(原理)から事(実践)への橋渡しを図る点が特色である。
科挙・教育への影響
明代の登第体系では、郷試・会試・殿試へと進む過程で経義の解釈が厳格に審査される。公定注である本書は答案の語彙・論理・引用順序まで事実上の規範となり、合否の線引きに直接効いた。学術の面でも、四書の義理を綱として時務策論や典故運用を訓練する書院カリキュラムが整えられ、最終段での名次決定と直結する進士科志望者に必読の叢書とみなされた。制度史の連続という視角では、宋代の文治的登用を確立した科挙(宋)の流れを汲みつつ、元期の再編を経たのち、明初に国家解釈の統一が徹底された(関連:元代の科挙)。
朝鮮・日本への波及
朝鮮王朝では朱子学が官学化し、四書の講義・科挙対策において本書が広く用いられた。日本でも近世に四書学習の底本として流布し、解釈の標準化に寄与した。他方で、朱子学の章句主義の定着は、実践倫理を強く求める立場からの反省を促し、明代後期には王陽明の学説が台頭、日本でも近世以降に受容が進む。日本陽明学の祖とされる中江藤樹は青年期に四書を精読しつつ、後年は心の主体性を重視する実学へ展開した。さらに南宋の心学系統である陸九淵の思想も再評価され、四書の読みは理気論・心性論の諸潮に開かれた議論の場となった。
評価と史学的論点
評価は二極的である。一方で、典籍の膨大な註疏を秩序化し、初学者から受験生・官僚に至るまで共有可能な標準テキストを確立した点は、学術伝承の安定に大きく資した。他方で、国家が解釈を拘束することは思索の幅を狭め、形式主義の答案訓練を助長したと批判される。今日の研究は、刊本・異同の校勘、章句配列の編集意図、引用註の出典網などのテクスト批判に加え、教育制度・政治文化との相互規定性を重ねて検討し、単なる「固定化」の物語に還元しない複合的理解を目指している。
関連叢書と「永楽三大全」
『五経大全』は五経の註解を統合し、『性理大全』は宋・元の性理学説を集大成した。三者は用途と読者層を重ねながらも、四書・五経・性理という主題ごとの巻立てと編集規範を有し、相互参照を促す設計で国家学術の骨組みを形づくった。四書の学習者は、経文の理解を四書・五経・性理の三層で往復し、教養の体系化を進めるのが通例となった。
典籍・用語の補説
- 四書…『大学』『中庸』『論語』『孟子』。道徳修養と政治原理の基本典籍。
- 大全…既往注疏を集め、統一解釈を示す叢書の総称。明代以降に公定性を帯びる。
- 学統…程朱・心学などの流派的系譜。朱子学の規範化ののち、王陽明らの異流が応答した。
- 登第…合格を指す語。最終段は皇帝臨場の殿試で名次が定まる。
- 書院…講学・読書の場。四書講義と答案作法の訓練が行われた。