布銭
布銭は、中国の春秋後期から戦国時代にかけて北中原を中心に流通した青銅製の鋳造貨幣である。形状は土木・農具の鋤(すき)や鍬に似た扁平な板金で、柄に相当する首と、左右の肩、身、脚(足)といった部位をもつ。地域ごとに規格や銘文が異なり、三晋(韓・魏・趙)をはじめとする諸国で多様に発達した。交易圏の拡大、徴税・俸給の貨幣化、軍需の拡大と歩調を合わせて普及し、やがて秦の統一による半両銭の導入で姿を消したが、布銭は中国古代の貨幣史・経済史・考古学を理解するための重要資料である。
名称と形状
布銭の「布」は布帛ではなく、古代中国で鋤や鍬など平らな刃部をもつ器具を指す語に由来するとされる。実物は掌大から手のひらよりやや大きい程度が多く、額縁状に縁取りをもつもの、刃先が広がるもの、脚が尖るものなど、細部の差異が多い。部位名称として首(柄)、肩、身、足があり、早期の典型では首が中空の「空首」となる。象徴的に農具を模す形は、農業生産の拡大と貨幣経済の結びつきを反映する、と解釈されてきた。
出現と展開
春秋末から戦国前期にかけて、周王権の権威が後退し、列国が各自の度量衡・貨幣を整備する中で布銭が現れた。分裂後の晋系諸国(韓・魏・趙)でとくに盛行し、河北・山西・河南の出土例が多い。これに対し、膠東や燕・斉などでは刀形貨幣(刀銭)が主流、楚では小型の特殊貨(蚁鼻銭)が卓越するなど、戦国期は多元的な貨幣体系を示す。こうした地域差は交易路・鉱産資源・政治権力の配置を映す。
種類と代表形式
- 布銭の初期を代表する空首布:首部が中空で、綜げ紐を通す構造。輪郭が細く、刃先がやや広がる。
- 中期以降の平首布:首が板状に閉じ、鋳造の均質化が進む。肩や足の形で地方差が生じる。
- 方足布・尖足布:足先の断面や尖り具合で分類され、流通圏や時期判定の手がかりとなる。
- 銘文入り布:邑名・地名・泉名・数値などを刻み、鋳造主体や額面・重量規格を示唆する。
材質・製造と流通
布銭は銅・錫・鉛を主体とする青銅合金を鋳型で量産した。鋳上がりの段階で湯道やバリを削り、外縁を整える。重量は時期・産地で幅があり、同一型式でもばらつきが見られる。市や都邑を結ぶ交易路で用いられ、徴税・俸給・軍需の支払いに動員された。他方で私鋳や改鋳も発生し、各国は規格統一や品質管理をめぐって統制を強めた。
刻文と度量衡
銘文は布銭の研究を牽引してきた要素で、邑名・郡県名・工官名・数字(重量・額面)などが刻まれる。これにより流通圏の境界や政治的再編の痕跡が読み解ける。度量衡の刷新や新都の建設期に銘文体系が変化することがあり、考古層位と合わせて相対年代を細かく設定できる。文字形(小篆以前の地域的字体差)も編年の資料となる。
経済史的意義
布銭は、交易の拡大とともに、物品貨幣から鋳造貨幣への移行を示す。農具を模す形は耕作拡大・余剰生産の存在を暗示し、軍役・土木と連動する国家財政の貨幣化を支えた。刀形貨幣や円形貨幣と並行して用いられた事実は、戦国期の市場が単一標準に収斂しきらなかったことを物語る。地域間の通用差や両替の慣行は、後の統一貨幣制度に先立つ多中心的な経済秩序の実像である。
秦の統一と廃止
秦は全国統一後、度量衡・車軌とともに貨幣も統一し、半両銭を導入した。これにより布銭は公的通貨としての役割を終える。旧貨の回収・溶解が進み、後世に残る実物は多くが埋納や出土窖蔵に由来する。統一後の円形銭は鋳造・運用のコストが低く、広域での互換性に優れ、国家的課税・軍事動員の効率化に寄与した。
考古資料と研究史
主要な出土地は河北・山西・河南の城郭遺跡・墓葬・窖蔵群で、まとまった群集出土は鋳造単位や流通速度を推定する鍵となる。近代以降の収集と目録化により型式分類・編年が進展し、鋳造技術の痕跡(鋳枠痕・バリ処理・合金比)や偽作判別の手法も整えられた。科学分析(元素組成・鉛同位体)と文献比較を組み合わせることで、布銭の地域差・時期差が高精度で復元されつつある。
関連する他形態の貨幣
- 刀形貨幣:膠東や燕・斉に広く分布し、布銭と並ぶ戦国貨幣の主流。
- 円形銭:秦漢の半両・五銖など、統一国家の標準貨幣として確立。
- 楚系特殊貨:蚁鼻銭など、小型で地域性の強い体系を形成。
用語と分析指標
- 泉:貨幣一般を指す古称で、銘文の「泉」は発行体・制度名をも示す。
- 額面・重量:額面表示の有無、重量の実測値、合金比の三点で型式間比較を行う。
- 通用圏:出土密度・銘文地名・道路網から復元し、政治的変動との対応を見る。