黒人奴隷制の廃止|人権と平等への歴史的転換

黒人奴隷制の廃止

黒人奴隷制の廃止は、大西洋世界の経済・社会秩序を根本から転換させた出来事である。アフリカからの奴隷貿易とアメリカ大陸のプランテーション経済は、近世・近代の砂糖・綿花生産を支える基盤であったが、啓蒙思想やキリスト教的人道主義、市民革命の理念、産業資本主義の発展などが結びつくことで、その正当性は急速に揺らいだ。奴隷貿易の禁止から各国での奴隷制廃止、さらに解放奴隷の市民権獲得をめぐる闘争を通じて、近代国家は「自由」と「平等」を掲げながらも、人種差別と植民地主義の現実との矛盾に向き合うことを迫られたのである。

黒人奴隷制の成立と大西洋世界

黒人奴隷制は、15世紀末以降の大航海時代に始まる大西洋交易と密接に結びついていた。ヨーロッパ諸国はアフリカ西岸から大量の黒人奴隷を連行し、アメリカ大陸のプランテーションに送り込んだ。そこで奴隷たちは砂糖・綿花・タバコなどの商品作物を栽培し、その収益は本国の商人資本を蓄積させ、のちの産業資本主義を準備したとされる。とりわけアメリカ合衆国南部では、綿花栽培を基盤とする大農園社会が形成され、黒人奴隷は法的にも社会的にも所有物として扱われた。この奴隷制社会のあり方が、後に北アメリカの自由主義的伝統と鋭く衝突することになる。

イギリスにおける奴隷貿易・奴隷制廃止

18世紀後半のイギリスでは、キリスト教的人道主義や啓蒙思想の影響を受けて奴隷貿易批判が高まり、商人・宗教家・女性たちを含む広範な廃止運動が展開した。世論の高まりを背景に、1807年に奴隷貿易禁止法が制定され、大西洋をまたぐ公的な奴隷輸送は違法とされた。その後も植民地の奴隷制度をめぐる論争が続き、1833年の奴隷制廃止法によって、イギリス本国と多くの植民地で黒人奴隷は法的に解放された。もっとも、奴隷所有者には多額の補償金が支払われた一方、元奴隷は低賃金労働者として従属的地位にとどめられ、形式的な黒人奴隷制の廃止と経済的従属の継続という矛盾が残った。

アメリカ合衆国における奴隷制問題の先鋭化

アメリカ合衆国では、建国期から奴隷制を容認する南部と、自由労働を原則とする北部との対立が内包されていた。19世紀になると、西部への領土拡大にともない、新しく編入される州で奴隷制を認めるかどうかが政治問題となり、ミズーリ協定やカンザス=ネブラスカ法などをめぐる妥協と対立が繰り返された。世論の面では、黒人奴隷の悲惨な境遇を描いたアンクル=トムの小屋が評判となり、北部の反奴隷制感情を大きく刺激した。また、黒人奴隷の法的地位をめぐるドレッド=スコット判決は、奴隷制を合衆国全域で事実上容認する内容であり、北部の反発を招いた。さらに、急進的な廃止論者によるジョン=ブラウンの蜂起は、南部に深刻な危機感を与え、妥協の余地を狭めていった。

南北戦争と奴隷制廃止

1860年のリンカン大統領当選を契機に、南部諸州は連邦から離脱してアメリカ連合国を結成し、1861年には南北戦争が勃発した。当初、リンカンの戦争目的は連邦の維持にあり、必ずしも直ちに黒人奴隷制の廃止を掲げていたわけではない。しかし戦争が長期化し、国際的世論や軍事上の必要性が高まる中で、1863年に奴隷解放宣言が発せられ、反乱諸州の奴隷解放が宣言された。これは象徴的意味が強く、直ちに全米で奴隷制が消滅したわけではないが、戦争の性格を「連邦維持の戦争」から「奴隷制廃止の戦争」へと転換させた。1863年のゲティスバーグの戦いなどを経て北軍が優勢となり、1865年にアメリカ連合国は崩壊、同年の合衆国憲法修正第13条によって奴隷制は正式に禁止された。

ラテンアメリカとカリブ海地域における奴隷制廃止

黒人奴隷制はアメリカ合衆国だけでなく、ラテンアメリカやカリブ海諸島にも広く存在した。フランス領サン=ドマングにおける黒人奴隷の反乱から始まったハイチ革命は、1804年に世界初の黒人共和国を誕生させ、奴隷制廃止の先駆的事例となった。その後、スペイン系・ポルトガル系アメリカ諸国でも独立革命と結びつきながら奴隷制廃止が進み、キューバやブラジルのように植民地経済への依存が強い地域では19世紀後半まで存続した。とくにブラジルでは、奴隷を労働力の中心とするコーヒー・プランテーションが続いたが、1888年の「黄金法」により最終的に奴隷制が廃止された。

黒人奴隷制廃止の意義とその後の課題

黒人奴隷制の廃止は、法的に人を所有物とする制度を否定し、自由労働を原則とする近代社会の基礎を確立した点で画期的であった。同時に、解放された黒人たちは土地や資本をほとんど持たず、小作農や低賃金労働者として旧主人層に依存せざるをえなかった。アメリカ合衆国では、奴隷制廃止後もジム・クロウ法による人種隔離や暴力的差別が続き、真の平等実現には20世紀以降の公民権運動を待たねばならなかった。また、奴隷制に代わる労働力として契約移民や植民地支配が拡大し、世界規模で新たな不平等が生まれた。こうした矛盾を抱えつつも、奴隷制廃止は、近代国家が掲げる自由・人権理念の普遍化に向けた一大転換点であり、その後の工業国アメリカの誕生や国際人権規範の形成を理解するうえで欠かせない歴史的プロセスである。