酒石酸|二価カルボン酸 光学活性と酸味

酒石酸

酒石酸は、分子式C4H6O6の二価の有機酸であり、2,3位にヒドロキシ基をもつジカルボン酸(2,3-dihydroxybutanedioic acid)である。ブドウやタマリンドに豊富に含まれ、ワイン由来の「酒石(potassium bitartrate)」として古くから知られてきた。天然には主としてL-(+)-体が存在し、強い酸味と金属イオンに対するキレート能を併せ持つ。食品分野では酸味料・pH調整剤として広く用いられ、工業分野では光学分割剤や錯化剤として利用される。英名はtartaric acid、食品添加物の表示はE334、CASは87-69-4である。

定義と基本性質

酒石酸は2つのカルボキシ基(–COOH)と2つの隣接ヒドロキシ基(–OH)をもつため、酸性度と水素結合性、キレート形成能が高い。水に良く溶け、エタノールにやや溶ける無色結晶で、味覚上はクエン酸より鋭い酸味を与える。天然由来のL-体は右旋性(+)を示し、歴史的にはロッシェル塩(KNaC4H4O6·4H2O)などの結晶研究を通じて立体化学理解の端緒を与えた。化学的にはジオールを有するためエステル化・アセタール化・金属キレート形成など多様な反応に関与する。

構造と立体異性体

酒石酸は2つの不斉炭素(C2、C3)をもち、D-体、L-体、meso体の3種が存在する。D/Lは鏡像異性体で互いにエナンチオマー、meso体は内部鏡映面をもつため光学不活性である。ラセミ体(DL)は結晶・融点・溶解度が純粋なL-またはD-体と異なる性質を示す。用途上はL-酒石酸が食品・医薬・不斉合成で最も一般的で、光学分割や触媒系の設計では、塩形成時のジアステレオマーの溶解度差を活用する。

光学分割への利用

L-酒石酸はアミン類と塩をつくり、ジアステレオメリック塩の溶解度差を利用して鏡像体を分離できる。古典的分割法として確立しており、精密合成ではdiethyl tartrateを配位子とする不斉エポキシ化などの前段階における光学材料供給にも関与する。塩の結晶化条件(溶媒、温度、pH)を最適化することで、収率と光学純度を両立できる。

物性値(代表例)

  • 分子式:C4H6O6、モル質量:150.09 g/mol
  • 外観:無色結晶、味:強い酸味
  • 融点:L体170–172 ℃、DL体約200 ℃付近(いずれも加熱で徐々に分解)
  • pKa1=2.98、pKa2=4.34(25 ℃)
  • 溶解性:水に可溶、エタノールにやや可溶、エーテルに難溶

天然での存在と製法

酒石酸はブドウ果実・ワイン中に多く、発酵・貯蔵で析出する酒石(主に酒石酸水素カリウム)として回収される。工業的にはこの酒石をアルカリで処理し、精製・再結晶して得るルートが主流である。化学合成としては不飽和二酸の水酸化などが知られるが、コストと立体選択性の点で天然由来のL-酒石酸が優位である。原料の季節・産地によって微量不純物が異なるため、用途に応じた品質規格が設けられている。

利用例(食品・工業)

  • 食品:酸味料・pH調整(E334)、ワイン酸度の調整、メレンゲ安定化(cream of tartar)
  • 膨張剤:炭酸水素ナトリウムと反応してCO2を発生し、ベーキングパウダー系で均一な気泡を形成
  • 電子材料史:Rochelle saltの圧電性を利用した初期トランスデューサ
  • 金属加工:CuやFeの表面処理・洗浄でキレート剤として沈着抑制
  • 合成化学:不斉補助・光学分割剤、エステル(diethyl tartrate)を介した配位子提供

反応性と化学的性質

酒石酸は二塩基性酸として段階的に中和し、酒石酸水素塩→中性塩へと変化する。カルボキシ基はエステル化、ヒドロキシ基はアセチル化・保護が可能で、金属イオンに対してはキレートを形成し溶解度や反応性を制御する。加熱下では脱水・分解が進み、用途によっては乾燥温度や滞留時間の管理が重要となる。混合溶媒系では水素結合ネットワークが平衡を左右し、結晶多形や粒径分布に影響する。

安全性と取り扱い

酒石酸は一般に低毒性で食品用途に広く認可されているが、濃厚溶液は皮膚・眼に刺激性がある。取り扱いでは手袋・保護眼鏡を基本とし、粉じん吸入を避ける。金属との接触では溶出・腐食を助長する場合があるため、ステンレスや耐食ライニングの設備が望ましい。保管は乾燥・遮光・密閉が原則で、吸湿により固結・酸度変動が起こり得るためロット管理を徹底する。

関連塩と誘導体

  • 酒石酸水素カリウム(KHC4H4O6、cream of tartar):製菓・酒造で重要
  • 酒石酸ナトリウムカリウム(KNaC4H4O6·4H2O、Rochelle salt):歴史的圧電材料
  • 酒石酸二カリウム(K2C4H4O6):めっき浴安定化
  • diethyl tartrate:不斉合成に用いる代表的エステル誘導体

歴史的背景

ワイン樽に析出する酒石は中世から知られ、18–19世紀にかけて精製技術が発達した。特にL-酒石酸やその塩の結晶学的研究は、J. Pasteurによる酒石酸塩結晶の手作業選別・旋光の発見に連なり、立体化学・キラリティの概念を化学にもたらした。以降、光学活性体の分離・測定・合成手法が体系化し、今日の不斉触媒設計の基礎となった。