訓話学|漢の官学である儒家の古典

訓話学

訓話学は、経典の解釈・文字の校定を中心とする学問である。の時代に官学として儒家が採用され、中国の主流となった。儒家は経典を尊重する経典主義で、訓話学は古典の復旧とその字句解釈に努めることを目的とする。テキストにの時代の隷書で書かれたものの(今文)と、以前の古い字体で書かれたもの(古文)とがあり、どっちがよいかなどの議論された。後漢の馬融・鄭女らが「経書」のすぐれた注釈を残したことで知られる。

漢と儒教

は、が極端な法治主義に傾倒して崩壊した経験から儒教を高く評価して統治に取り入れた。特に前漢の武帝は、儒学統一国家の威儀を整え、国作りの基礎とするため、、董仲舒の公羊学説を用いて儒学を官学に採用した。中央の大学に五経博士を置き儒教の経典(五経)を講義させ、地方にも学校を作り、儒学的教養をもって官吏の養成を図った。

訓話学

後漢の光武帝の保護・奨励された儒学は後漢の中で他の諸子百家の学を抑えて中国の主流の地位を占め、国家の学問としての地位を独占することができた。しかし、その一方で、儒学は、発展することなく固定化し、秦の始皇帝の焚書によって失われた古典の復旧とその注釈に努めた。これを訓話学といい、後漢の馬融・鄭玄らによって大成された。

経典主義

訓話学は、経典の解釈・文字の校定を中心とする学問。漢代には経典のテキストに漢代の隷書で書かれたものの(今文)と、以前の古い字体で書かれたもの(古文)とがあり、どっちがよいか議論された。

許慎

後漢の許慎は古典を読むために必要な『説文解字』という辞典を作り、中国古典学の基礎が確立した。

劉向

劉向は(前77~前6)前漢の学者で、宮廷所蔵の書物を分類・整理して目録を作成した。

劉向

劉向は後漢の訓話学者で、馬融に学び、党錮の禁を受けてからのちは学問に専念し、「経書」研究に努めた。古文学を確立し、訓話学を大成した。

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