綿工業
綿工業は、原料綿花から糸や布を大量に生産する産業であり、近代ヨーロッパ、とりわけイギリスにおける産業革命を牽引した基幹部門である。インドなどアジア起源の綿布生産技術がヨーロッパにもたらされると、軽くて洗いやすい綿布への需要が急速に拡大し、技術革新・労働組織・世界貿易の構造を大きく変えていった。綿工業は、工場制機械工業と国際市場を結びつけ、近代的な資本主義社会の形成に決定的な役割を果たした産業である。
手工業的綿布生産と家内工業
近代以前のヨーロッパでは、綿布生産は羊毛業に比べて周辺的であったが、インド産の更紗やモスリンの流入により綿布の人気が高まり、ヨーロッパでも綿糸・綿布の需要が高まった。初期の綿工業は都市ギルドや農村の家内工業として行われ、商人が原料綿や綿糸を農民に貸し付け、紡績・織布を請け負わせる「問屋制家内工業」が広がった。この段階では、生産は手紡ぎ車と手織機による熟練労働に依存しており、生産量の急増や価格の大幅な低下には限界があった。
イギリス綿工業と機械発明
イギリスでは、綿布需要の高まりとともに綿工業の機械化が進み、これが世界最初の産業革命の中心となった。とくにランカシャー地方では、紡績・織布の技術革新が連鎖的に起こり、生産性が飛躍的に上昇した。
- ジェニー紡績機:多数の糸を同時に紡ぐことを可能にし、手紡ぎの能率を大幅に高めた。
- 水力紡績機・ミュール紡績機:水力や改良機構により、より強く細い糸を大量生産できるようにした。
- 力織機:織布工程を機械化し、機械紡績との結合によって工場制機械工業を完成させた。
これらの発明は、蒸気機関の普及と結びつき、大規模な工場に労働者を集中させる新しい生産様式を成立させた。工場で働く労働者は時間規律に従い、賃金を得て生活するようになり、近代的な労働者階級が形成された。
農業革命と労働力・市場の確保
綿工業の発展は、イギリス農村社会の変容とも密接に結びついていた。土地所有貴族やジェントリが推し進めたエンクロージャー(第2次)やノーフォーク農法などの農業革命は、農業の生産性を高める一方で、多くの自営小農を土地から切り離した。土地を失った人びとは、都市や工業地域に流入し、工場の賃金労働者となった。
他方で、農業生産性の向上は余剰農産物と人口増加をもたらし、綿布を消費する国内市場を拡大した。このように、農業と綿工業の発展は相互に支え合い、二重革命と呼ばれる政治・経済・社会の大変動の一部を構成した。
原料綿と植民地・奴隷貿易
綿工業の急速な拡大には、大量の原料綿の安定供給が不可欠であった。イギリスは北アメリカやカリブ海地域の植民地で綿花栽培を広げ、アフリカから連行された奴隷労働に依存して綿花を生産させた。こうして、アフリカ・アメリカ・ヨーロッパを結ぶ「三角貿易」の一角として綿花と綿製品が重要な位置を占めたのである。
さらにポルトガルとのメシュエン条約など、対外通商政策はイギリス製綿布の輸出先を確保し、アジア・アフリカ市場への販路拡大を後押しした。安価な綿布はインドなど従来の綿布生産地域にも流入し、現地の手工業を圧迫するとともに、世界市場におけるイギリス綿工業の優位を確立した。
金融・貿易体制と綿工業
綿工業の発展の背後には、ロンドンの金融・商業機構も存在した。国家財政と金融制度の整備を担ったイングランド銀行や、国債市場、そしてロンドンの金融街であるシティは、工場建設や貿易に必要な資金調達を可能にし、リスク分散を行う場となった。
綿製品を輸出する商社や船主たちは、この金融ネットワークを利用して世界各地と取引を行い、利潤を再投資することで綿工業の企業規模を拡大していった。こうした金融・貿易体制は、工業と商業と国家財政が結びついたイギリス型の近代経済の特徴を示している。
日本の綿工業と近代化
日本でも、江戸時代には農村手工業として木綿の栽培と綿織物生産が広がり、地域経済を支える重要な生業となっていた。明治維新後、政府は近代化政策の一環として紡績業を振興し、洋式機械を導入した紡績工場が建設された。大阪紡績会社などの企業はイギリス型の工場制を採用し、女性労働者を中心に大量生産を進め、日本の綿工業はやがて輸出産業としても発展した。
このように、日本の綿工業はイギリスから移入された技術や制度を基盤としつつも、アジア市場への輸出や国内繊維産業の形成を通じて独自の発展を遂げ、近代国家形成と産業化に重要な役割を果たした。
綿工業の歴史的意義
綿工業は、機械発明・労働力移動・世界貿易・金融制度といった多様な要素を結びつけ、近代的な工場制機械工業の典型を示した産業である。その発展は、イギリスを中心とする欧米近代社会の形成を促進し、労働者階級の成長、都市化、国際分業の拡大といった社会変化を引き起こした。今日のグローバルな衣料産業の背景には、近代初頭に成立した綿工業の歴史的経験が深く横たわっている。