第2次バルカン戦争
第2次バルカン戦争は、1913年にバルカン諸国同士が領土分配をめぐって争った戦争である。第1次バルカン戦争でオスマン帝国をバルカン半島からほぼ駆逐した後、勝利国間でマケドニアなどの分配が対立し、中心的役割を担ったブルガリアが戦利分配に不満を抱いたことから勃発した。戦争は主としてブルガリアとセルビア・ギリシア連合軍との戦いであり、途中からルーマニアとオスマン帝国も介入し、短期間でブルガリアの敗北に終わった。
第1次バルカン戦争後の背景
1912〜1913年の第1次バルカン戦争では、セルビア・ブルガリア・ギリシア・モンテネグロからなるバルカン同盟がオスマン帝国に勝利し、その勢力をバルカン半島の奥深くまで後退させた。しかし、戦争の成果として獲得したマケドニアとトラキアの領土をどのように分配するかを巡って、同盟国間に深刻な対立が生まれた。
とくにマケドニアをめぐっては、セルビアとブルガリアの間で事前に取り決めた境界線と、実際の占領状況が食い違ったことが紛争の火種となった。また、列強はアドリア海に面するセルビアの膨張を警戒し、アルバニア独立を承認してセルビアの海への出口を封じた。このような外交折衝は、バルカン半島をめぐる複雑なバルカン問題の一環であり、各国の民族主義と勢力均衡政策が交錯していた。
ブルガリアは第1次戦争で最大の犠牲を払ったと自認しており、その見返りとしてマケドニアの大部分を得るべきだと考えていた。しかしセルビアとギリシアは、自らの軍事的貢献や占領地を根拠に、マケドニアの大部分を維持しようとしたため、交渉は決裂へと向かった。
開戦と戦争の経過
こうした緊張の中で、1913年6月末、ブルガリア軍はセルビアとギリシアの陣地に対して奇襲攻撃を開始し、第2次バルカン戦争が始まった。開戦当初、ブルガリアは複数戦線で戦わざるをえず、兵力を分散させていたため、セルビア軍・ギリシア軍の反撃を受けて次第に劣勢に追い込まれた。
- セルビア軍は内陸部でブルガリア軍を押し返し、マケドニア北部の支配を固めた。
- ギリシア軍はエーゲ海沿岸部でブルガリア軍を撃退し、テッサロニキ周辺の支配権を確保した。
ブルガリアは単独での戦局打開が困難になると、列強に仲介を求めたが、同時に周辺国はこの機会を利用して自国の利益拡大を図った。
ルーマニアとオスマン帝国の介入
戦争の途中、ルーマニアは南ドブルジャの割譲を目的としてブルガリアに宣戦し、ほとんど抵抗を受けることなくブルガリア北東部へ進軍した。これによりブルガリアは新たな戦線を抱え、国内の安全すら脅かされる状況となった。
一方、第1次バルカン戦争で広大な領土を失ったオスマン帝国は、ブルガリアの窮地に乗じて再びトラキアに軍を進め、アドリアノープル(エディルネ)の再占領に成功した。このオスマン軍の介入により、ブルガリアは東方でも防衛を強いられ、戦略的に完全な四面楚歌の状態に追い込まれた。
講和条約と領土再分配
多方面からの攻撃に耐えられなくなったブルガリアは、1913年7月に停戦を受け入れ、同年8月にブカレスト条約が締結された。この条約によって、マケドニアの大部分はセルビアとギリシアの支配下に入り、ブルガリアはわずかな領域のみを保持するにとどまった。また、ルーマニアは南ドブルジャを獲得し、ブルガリアは黒海沿岸部でも領土を失った。
同年9月にはオスマン帝国との間でコンスタンティノープル条約が結ばれ、ブルガリアはアドリアノープルなど東トラキアの一部を正式に放棄した。こうして第2次バルカン戦争は、ブルガリアの大幅な領土喪失と外交的孤立という形で終結した。
戦争の影響と第一次世界大戦への連関
この戦争の結果、セルビアはマケドニア北部を獲得してバルカン半島での地位を強め、南スラブ民族を統合しようとする動きを加速させた。一方、拡大するセルビアを脅威とみなしたオーストリア=ハンガリー帝国は、セルビア抑圧に向けた方針を強め、両国関係は決定的に悪化した。この緊張は翌1914年のサラエボ事件と、それを契機とする第一次世界大戦勃発へとつながっていく。
ブルガリアは敗北と領土喪失への不満から、列強との関係を再編し、やがて第一次世界大戦ではドイツやオーストリア=ハンガリー側に接近した。また、セルビア領の拡大とアルバニア独立など、アルバニア周辺を含む国境線の再調整は、その後もバルカン地域の対立を続かせる要因となった。こうして第2次バルカン戦争は、短期の局地戦にとどまらず、バルカン半島とヨーロッパ全体の勢力図を大きく塗り替える転機となった。
バルカン問題の深刻化
オスマン帝国の退潮と民族国家の台頭の中で、バルカン諸国は互いに領土と民族を奪い合い、列強はそれぞれの利害に応じて介入した。ボスニアヘルツェゴヴィナ併合などの出来事とともに、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる不安定な地域となり、バルカン問題は20世紀前半の国際政治を大きく揺るがすことになった。
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