第2インターナショナル
19世紀後半のヨーロッパで社会主義運動が成長するなか、各国の社会主義政党と労働組合は国境をこえた連帯組織として第2インターナショナルを結成した。1889年にパリで創設され、資本主義社会を打倒し社会主義社会への平和的・議会的移行をめざす国際的な協議機関として機能した。
成立の背景
先行する第1インターナショナルが分裂と弾圧によって崩壊したのちも、ヨーロッパ各地で社会主義運動は拡大した。工業化と都市化の進展にともない賃金労働者が増加し、ストライキが頻発するなかで、ドイツでは大衆的な社会主義政党が誕生し、これらを国際的に結集しようとする構想が生まれた。
パリ創設大会と組織の性格
1889年、フランス革命100年を記念する博覧会に合わせてパリで国際社会主義会議が開かれ、ここで第2インターナショナルが正式に発足した。参加したのは各国の社会主義政党と労働団体であり、のちにフランス社会党を形成する諸勢力やヨーロッパ各地の社会民主主義政党が加わり、定期大会と国際社会主義局を通じて決議や宣言を採択する連合体となった。
理論的潮流と内部対立
インターナショナル内部では、カウツキーらの正統派マルクス主義とベルンシュタインの修正主義との対立が広がった。フランスのジャン=ジョレスらは共和政と人権を擁護する民主主義的社会主義を主張し、各国の政治状況に応じた多様な路線が並存したが、この理論的多様性は運動の広がりと同時に分裂の要因ともなった。
労働運動とサンディカリズム
第2インターナショナルは、各国の労働組合運動と結びつき、労働時間短縮や社会保険制度の実現を掲げて国際的な統一行動を呼びかけた。1889年のパリ大会では8時間労働制要求とともに5月1日を労働者の国際的な闘争と連帯の日とすることが決議され、メーデーの起源となり、とくにフランスではゼネラル・ストライキを重視するサンディカリズムが影響力を強めた。
帝国主義・民族問題と危機
20世紀初頭、帝国主義競争と植民地拡大が激化すると、インターナショナル内部でも帝国主義批判をめぐる立場の違いが表面化した。ドイツ帝国の世界政策やヴィルヘルム2世の軍拡路線に対して多くの社会主義者は反軍国主義を掲げ、フランスではドレフュス事件を契機に反ユダヤ主義批判と共和政防衛が重要な争点となった。
第1次世界大戦と崩壊
インターナショナルはたびたび反戦と国際連帯を宣言していたが、1914年に第1次世界大戦が勃発すると、多くの社会主義政党は自国政府の戦争遂行を支持し、戦費に賛成票を投じた。とりわけ最大勢力であったドイツ社会民主党の態度は国際主義よりも国民国家への忠誠が優先されたことを示し、第2インターナショナルは事実上崩壊した。その後ロシア革命を背景に第3インターナショナルが結成され、第2インターナショナル諸勢力は社会民主主義の国際組織として再編されて20世紀の労働運動に大きな影響を与えた。