シュメール人|メソポタミア文明を築いた古代人

シュメール人 Sumeriaris

シュメール人は、メソポタミア南部で最古の文明を築いた民族である。民族系統はわかっていない。前3000年頃から、ユーフラテス川、ティグリス川周辺にウル・ウルク・ラガシュなど多くの都市国家を建設し、青銅器・楔形文字を発展させた。これらの各都市国家は固有の守護神を信仰し、互いに覇権を争った。シュメール人が築いた文明をメソポタミア文明と呼ばれる。

メソポタミア

メソポタミア

シュメール

シュメールは「葦の多い地方」という意味で治水が難しく、大洪水が度々農地や都市を押し流し、厳しい暑さとともに人々を苦しめた。一説によると、『旧約聖書』の創世記はに納められている「ノアの箱船」の原型はシュメール社会(『ギルガメシュ物語』ウトナピシュティムという賢人が家族と一緒に大洪水から救われた)にあったといわれている。

粘土文明

乾燥して危機が貧しいメソポタミアでは、粘土が文明の基礎として使われた。神殿を築いた日干しレンガ、柔らかい粘土板に先のとがった葦のペンで記された楔形文字、粘土の上を転がす円筒印象などは文明と粘土との関わりを示している。

メソポタミア

メソポタミアとは、ギリシア語moesos(まんなか)とpotamos(川)の合成語で、「川の間の土地」を意味する。

都市国家

鉄製農具など鉄器時代が確立するにともない、農業の生産性の向上や大規模化が図られた。それにともない村落は連合や征服を通じて拡大するようになると、神殿などを中心とする都市とその周辺地域から形成された小国の都市国家が作られた。このような都市国家は文明が発生期の段階に現れる国家の形態と考えられており、シュメール人はウル、ウルクやラガシュなどの都市国家を作った。

都市国家の様子

メソポタミアの都市国家は自立性が強く、都市国家連合の形で広大な地域が統一されていた。それぞれの都市には、人口の丘(ジッグラト)が作られ、その上に守護神を祭るる神殿が設けられ、守護神の奴隷・新刊の長としての王が支配を行った。

ウル

ユーフラテス川下流域右岸にシュメール人が建設した都市国家。王墓から殉死者ここや黄金製の副葬品が発見された。日干し煉瓦の城壁(両辺約300m、対辺が約180nmと150mの台形)で囲まれた聖域の中に、ジッグラト(聖塔)がそびえていた。

ウルク

ウルより上流にあるシュメール人の都市国家。現在のワルカ。最古の円筒印章や文字が発見された。

ラガシュ

ウルの北方にあったシュメール人の都市国家。現在のテルロ。

神権政治

シュメール人は、神権政治をとり、王(統治者)は、神や宗教の権威を借りて統治を行った。王自身が神(あるいは代理人)として、または神官勢力が大きな力を持って王権を補佐して行われた。

階級社会

シュメール人は文明を発生させるにしたがい、階級社会が作られた。階級社会とは、一部の統治者に富や権力をもたせ、上下関係として位置づけらる社会である。文明が発展する中で社会的な分業(地位・役割)が発生し、それが支配・従属関係として固定化した。

メソポタミアと戦争

メソポタミアは、ユーフラテス川とティグリス川に挟まれた地域を指し、平坦な土地が広がり、山や谷のすくない開放的な地形であるため、たえず異民族が侵入し、戦争を繰り返した。そのため、戦いに勝利するため、より強力な兵器が生み出された。

楔形文字

楔形文字

楔形文字

楔形文字とは、シュメール人が絵文字からつくった文字で現存する人類最初の文字である。粘土板に草の茎や金属の尖端またで押しつけるようにして書かれたため、一つ一つの字画が楔の形をしている。神官や書記が祭祀・法律・歴史などを書くのに用い、アケメネ朝の滅亡まで古代オリエントで広く使れた。

太陰暦

月の満ち欠けによる太陰暦、60進法も考え出された。1年を12ヶ月、7日を一週間としするのは、メソポタミアから始まった。

神話にみる人間観

メソポタミアでは炎天下の激しい労働を嫌った神エンキが母ナーム(大地の神)に命じて地下の泥水から奴隷としての人間を作ったとされ、人間は神々の気まぐれな意志に左右される悲観的な存在であると考えられている。キリスト教の人類の祖アダムは粘土から作られた、という話はこれを起源としている説がある。

アッカド人による征服

アッカド人とは、セム語系のアッカド語を使用した民族である。バビロニア(南メソポタミア)北部からおこり、シュメール人の都市国家はアッカド人によって征服されることになる。アッカド人は、前24世紀頃、メソポタミア最初の統一国家を建設した。

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