稲葉山城
稲葉山城は、かつて美濃国(現在の岐阜県岐阜市)の金華山山頂に築かれた日本の山城である。戦国時代における美濃支配の拠点として知られ、特に下剋上の代名詞とも言われる斎藤道三の居城として、また後に織田信長が天下布武の拠点とした城として歴史的に極めて重要な地位を占める。現在は「岐阜城」として再建されており、国の史跡に指定されている。
歴史と沿革
稲葉山城の歴史は鎌倉時代に遡り、建仁年間(1201年 – 1204年)に二階堂行政が金華山に砦を築いたのが始まりとされる。その後、室町時代には美濃守護代の斎藤利永が修築して居城とした。天文年間に入ると、斎藤道三が主家を追放して実権を握り、稲葉山城を大規模に改築・拡張した。道三は山上に詰め城、山麓に豪華な居館を整備し、難攻不落の要塞へと作り変えたのである。1567年(永禄10年)、織田信長が斎藤龍興を破ってこの城を攻略すると、地名を「井口」から「岐阜」へと改め、城名も岐阜城と改称された。これにより、稲葉山城としての呼称は中世の終わりとともに一つの区切りを迎えることとなった。
城郭の構造と特徴
稲葉山城は、標高329メートルの険峻な金華山(稲葉山)の山頂部に本丸を置く典型的な連郭式山城である。斎藤道三の時代には、自然の断崖絶壁を巧みに利用した防御陣地が構築されており、力攻めで落とすことは困難と評された。近年の発掘調査によれば、山麓部には信長時代に先駆けて道三期からも大規模な石垣や建物跡が存在していたことが判明しており、中世城郭から近世城郭へと脱皮する過程を象徴する遺構が確認されている。
織田信長による改称と統治
戦国時代の転換点となったのは、1567年の信長による攻略である。信長は稲葉山城に入城すると、中国の故事に倣い、天下統一の拠点にふさわしい「岐阜」という名を付けた。信長はこの城を、単なる軍事拠点としてだけでなく、政治・文化の中心地として機能させた。宣教師ルイス・フロイスは、山麓の華麗な宮殿を訪れ、その美しさを「地上の楽園」と称賛している。信長は1576年(天正4年)に安土城へ移るまでの約9年間、ここを本拠として天下布武の構想を推進した。
防御設備と縄張り
稲葉山城の防御における最大の特徴は、その高低差と険しい地形にある。山頂に至る登山道(七曲り口、百曲り口など)は狭隘で急勾配であり、敵軍の侵入を阻む。また、山頂付近には複数の郭が階段状に配置され、各所に石垣や堀切が設けられていた。特に信長が改修した時期には、山上の主要部を石垣で固める手法が本格化しており、これは後の日本の城郭建築に大きな影響を与えたと考えられている。稲葉山城の縄張りは、攻めにくく、かつ支配者の威信を誇示する意図が強く反映されていた。
主な遺構と見どころ
現在の金華山周辺には、稲葉山城時代の面影を伝える貴重な遺構が点在している。特に注目すべきは、近年の調査で脚光を浴びている山麓の居館跡である。
- 山麓居館跡の石垣:織田信長時代の巨大な石垣や通路跡が発掘されており、当時の権勢を物語る。
- 山頂の石垣:再建された天守の周囲には、戦国期から安土桃山時代にかけての古い石垣が一部残存している。
- 井戸跡:山頂付近において籠城戦の生命線となる水の手を確保するための井戸が確認されている。
- 金華山の自然:城郭としての険しさを体感できる登山道は、当時の兵士や武将の苦労を現代に伝える。
近現代の状況
関ヶ原の戦いの前哨戦で落城した後、稲葉山城(岐阜城)は慶長6年(1601年)に廃城となり、建築部材は加納城の築城に転用された。明治時代に入ると、1910年に日本初の観光用模擬天守が木造で建設されたが、これは焼失した。現在の天守は1956年に鉄筋コンクリート造で復興されたものであり、岐阜市のシンボルとして親しまれている。金華山ロープウェーが整備されているため、現代では山頂まで容易にアクセス可能であり、夜景の名所としても高い人気を誇っている。2011年には「岐阜城跡」として国の史跡に指定され、稲葉山城としての歴史的意義が改めて評価されている。
アクセスと周辺観光
稲葉山城(岐阜城)へのアクセスは、JR岐阜駅または名鉄岐阜駅からバスを利用して「岐阜公園歴史博物館前」で下車するのが一般的である。公園内からロープウェーを利用すれば約3分で山頂駅に到達し、そこから徒歩約10分で天守へ至る。徒歩での登山を希望する場合は、複数のハイキングコースが整備されており、地形の険しさを直接体験することができる。周辺には斎藤道三や織田信長ゆかりの寺社も多く、歴史ファンにとって見どころの尽きないエリアとなっている。
基本情報一覧
稲葉山城に関する基本データを以下の表にまとめる。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 別名 | 岐阜城、金華山城 |
| 所在地 | 岐阜県岐阜市金華山 |
| 築城主 | 二階堂行政(伝) |
| 主要な城主 | 斎藤道三、織田信長、織田信忠、池田輝政 |
| 主な遺構 | 石垣、堀切、井戸、土塁 |
| 指定文化財 | 国指定史跡(岐阜城跡) |