砂糖|歴史を動かす甘い結晶

砂糖

砂糖はサトウキビやサトウダイコンに含まれるショ糖を結晶化・精製した甘味料であり、飲み物や菓子、調味、保存などさまざまな用途をもつ。近世以降、砂糖は世界規模の商業・金融ネットワークを支える代表的な商品となり、植民地支配や奴隷制、食文化の変化と深く結びついて発展してきた。

定義と主な種類

砂糖は化学的にはショ糖(スクロース)を主成分とする結晶であり、水に溶けやすく強い甘味をもつ。結晶の大きさや精製度、含まれる糖の種類によって多様な製品に分かれ、それぞれ用途が異なる。

  • 上白糖・グラニュー糖など、高度に精製され無色に近い砂糖は、飲料や洋菓子づくりに多く用いられる。
  • 黒糖や含蜜糖はミネラルや糖蜜成分を多く残し、独特の風味をもつため、郷土菓子や伝統的な料理に利用される。
  • 角砂糖・氷砂糖・粉砂糖などは、結晶の形状を変えることで保存性や使い勝手を高めたものである。

また、原料に応じてサトウキビ由来の甘味料と、サトウダイコンから作られるビート糖に大別され、後者は近代以降のヨーロッパで重要な役割を果たした。

起源と古代の砂糖文化

砂糖の原料であるサトウキビは、東南アジアからニューギニア周辺にかけての熱帯地方が起源とされる。古代インドでは早くからサトウキビの栽培と搾汁が行われ、やがて煮詰めて結晶を得る技術が発達し、甘味と薬用を兼ね備えた貴重な品として扱われた。

インドで発達した製糖技術は、交易路を通じてペルシアや東地中海世界に伝わり、宮廷や上層階級の嗜好品として受容された。古代・中世の段階では、砂糖は日常的な調味料ではなく、薬剤や高級品としての性格が強かったと考えられる。

イスラーム世界とヨーロッパへの伝播

7世紀以降、イスラーム勢力の拡大にともない、サトウキビ栽培と製糖技術はエジプトやシリア、北アフリカ、イベリア半島などへ広がった。これにより、地中海沿岸には灌漑設備と労働力を基盤とする製糖業が成立し、砂糖はイスラーム商人によって各地へ運ばれた。

十字軍遠征期以降、ヨーロッパの商人はレバントやシチリアで砂糖を入手し、都市市場へ供給するようになったが、価格は非常に高く、香辛料と同様に貴族や富裕市民が消費の中心であった。中世末には、ヨーロッパで医薬品・保存食・贈答用の菓子として砂糖を用いる文化が定着していく。

大西洋世界と砂糖プランテーション

15世紀以降、ポルトガル人はサトウキビ栽培と製糖技術を大西洋の島嶼部へ移転し、マデイラ島やサン=トメ島などで大規模なサトウキビ農園を展開した。ここでは、強制労働や奴隷労働に依存する生産体制が形成され、近世植民地社会における砂糖生産の原型となった。

コロンブスによるアメリカ航路の開拓後、ブラジルやカリブ海地域では、プランテーションと呼ばれる大規模農園で砂糖の生産が急速に拡大した。ヨーロッパの需要増加に応じて、サトウキビ畑、製糖工場、港湾都市が一体となった生産・輸送システムが整えられ、砂糖は大西洋世界を結びつける代表的な商品となった。

三角貿易と黒人奴隷貿易

近世の大西洋世界では、ヨーロッパ・アフリカ・アメリカ大陸を結ぶ三角貿易が展開し、その中心商品のひとつが砂糖であった。ヨーロッパからは武器・布・金属製品がアフリカへ送られ、アフリカからは多くの人々が奴隷としてアメリカ大陸へ連行された。この過程は黒人奴隷貿易として知られ、ギニア地方ダホメ王国ベニン王国など西アフリカ社会の構造を大きく変化させた。

アメリカ側では奴隷労働により砂糖が大量に生産され、それがヨーロッパ市場へ輸出されることで、大西洋全体に利益と暴力の連鎖が生じた。このような取引網は、近世ヨーロッパの対外経済を特徴づける大西洋貿易システムの重要な一部を構成した。

近代の砂糖産業とビート糖

18〜19世紀になると、ヨーロッパではサトウダイコンを原料とするビート糖産業が発展した。ナポレオン戦争期、大陸封鎖政策によってカリブ海からの砂糖供給が不安定になると、フランスやドイツでビート栽培と製糖工場の建設が進められ、自給体制が整えられた。

ビート糖の普及は、植民地からの輸入に依存していた砂糖供給構造を部分的に変化させると同時に、ヨーロッパ農村での新たな現金作物生産を促した。19世紀後半には製糖技術の機械化や蒸気機関の導入が進み、精製度の高い砂糖が大量生産・大量消費されるようになった。

日本における砂糖の受容

日本には、中世末から近世初頭にかけて南蛮貿易・朱印船貿易を通じて砂糖がもたらされた。当初は中国や東南アジア産のものが中心で、薬用や贈答用、寺社への供物、将軍・大名への進物など、極めて高価な珍品として扱われた。

江戸時代には、長崎貿易を通じて輸入される砂糖の量が増加し、上層町人や武士階層の間で砂糖菓子や甘味料の需要が広がった。同時に、琉球列島や薩摩藩領、のちには北海道・本州の一部でもサトウキビやテンサイの栽培が試みられ、国内生産も進展した。明治期以降、製糖会社の設立と技術導入によって砂糖は一般家庭にも広く普及し、和菓子・洋菓子・清涼飲料など多様な食品産業の発展を支える基盤となった。

砂糖消費と社会・文化

近世から近代にかけてのヨーロッパや日本では、砂糖は紅茶・コーヒー・チョコレートなど新しい飲み物の普及とともに日常的な甘味料となり、人々の嗜好や生活リズムを変えていった。都市の菓子店や喫茶店は社交の場として機能し、甘味のある飲食物は近代的な余暇文化や祝祭のイメージと結びついた。

一方で、安価な砂糖の大量供給は、植民地支配や奴隷制と結びついた歴史をもつうえ、現代では過剰摂取による健康問題とも関連づけて論じられる。歴史・社会・経済・医療の各分野では、砂糖を単なる甘味料としてではなく、人類史における重要な商品・文化要素として総合的に位置づけようとする研究が続けられている。