烏帽子|平安時代から続く日本伝統の男性用冠帽

烏帽子

烏帽子(えぼし)とは、日本の伝統的な和装における成人男性用の被り物(帽子)の一種である。もともとは平安時代以降、成人男性が公の場に臨む際の必須の装束として定着し、身分を問わず広く用いられた。黒塗りの絹や紙で作られ、独特の形状を持つこの被り物は、単なる装飾品ではなく、当時の社会における礼儀や身分を示す象徴的な意味を持っていた。現代においても、神職の装束や伝統芸能、相撲の行司の装束などに見ることができ、日本の伝統文化を象徴する品の一つとして継承されている。

烏帽子の歴史と変遷

烏帽子の起源は、古代の中国から伝来した「冠」を簡略化したものと考えられている。当初は、庶民や下級官人が使用する実用的な帽子であったが、平安時代中期頃からは、貴族階級においても略装時に着用されるようになった。平安末期から鎌倉時代にかけては、烏帽子は成人男性の象徴とされ、外出時や他人に会う際に頭部を露出させることは非常に恥ずべきこと(露頂)とみなされた。このため、寝食の際以外は常に烏帽子を着用する習慣が根付いた。時代が下り江戸時代になると、礼装としての地位は「冠」に譲り、日常的には着用されなくなったが、特定の儀礼や職業においてはその伝統が保持された。

主な種類と形状

烏帽子には、身分や用途、時代によって多様な種類が存在する。その形状は、漆で固めた硬いものから、折り畳める柔らかいものまで多岐にわたる。主な分類は以下の通りである。

名称 特徴 主な着用層
立烏帽子 円筒形で高くそびえ立つ基本の形 公家、高位の武士
折烏帽子 上部を左右のどちらかに折り曲げたもの 武士、一般庶民
引立烏帽子 兜の下に被るため、紐で固定できるもの 戦国時代の武将
風折烏帽子 頂部を横に折った優美な形状 直衣や狩衣を着用する貴族

元服と烏帽子の儀礼

中世日本において、男子が成人と認められる儀式である元服(げんぷく)は、別名「加冠の儀」とも呼ばれる。この際、少年の髪を大人の結い方に改め、初めて烏帽子を着せることが儀式の中心であった。この時、烏帽子を被せる役を「烏帽子親(えぼしおや)」と呼び、被せてもらう者を「烏帽子子(えぼしご)」と呼んで、生涯にわたる擬制的な親子関係を結んだ。この習慣は、武士社会において一族や主従の結束を強めるための重要な社会的基盤となった。

和装における烏帽子の役割

烏帽子は、組み合わせる衣服によってその格付けが厳格に定められていた。例えば、最も格の高い和服の一つである束帯には「冠」を用いるが、それより一段低い準礼装の直衣や、日常着としての狩衣には、通常は烏帽子が合わせられた。また、烏帽子を固定するために「烏帽子留(えぼしどめ)」と呼ばれるピンや、顎の下で結ぶ「懸緒(かけお)」が用いられることもあった。これらの細かな仕様も、着用者の階級や美意識を反映する要素となっていた。

素材と製法

烏帽子の素材は、主に「薄様(うすよう)」と呼ばれる上質な紙や、絹織物である「紗(しゃ)」が用いられる。これらに黒い漆を何度も塗り重ねることで、独特の光沢と硬度を持たせる。この「黒塗り」の技法は、単なる着色の目的だけでなく、湿気や型崩れを防ぐための実用的な意味も兼ね備えていた。職人の手によって一つずつ手作業で作られる烏帽子は、現在でも数少ない伝統工芸品として、京都などの専門店で制作が続けられている。

現代における烏帽子の継承

明治維新以降、西洋化の影響で日常的な帽子としての烏帽子は姿を消したが、宗教的・文化的な文脈では現在も欠かせない存在である。神社の祭祀において神職が着用するほか、雅楽の演奏家、能や狂言の演者なども、演目に応じた烏帽子を使用する。また、大相撲の行司が土俵上で着用する装束においても、その階級に応じた意匠の烏帽子が引き継がれている。これらの事例は、烏帽子が日本の歴史における礼節の精神を現代に伝える重要な文化遺産であることを示している。

  • 神職:主に立烏帽子を着用し、祭礼の厳粛さを保つ。
  • 伝統芸能:能楽などでは役柄の身分や性格を表現する小道具として機能する。
  • 相撲:行司の格により、懸緒の色や飾りに細かな違いがある。
  • 時代祭:各地の歴史祭列において、当時の風俗を再現するために用いられる。