水銀(Hg)|常温液体の揮発性で有毒な重金属

水銀(Hg)

水銀(Hg)は原子番号80の重金属元素で、常温で液体として存在する唯一の金属である。高い密度と表面張力をもち、ガラスを濡らしにくい性質から気圧計やマノメータなどの精密計測に長く用いられてきた。一方で金属蒸気および有機水銀化合物の強い神経毒性が知られ、環境・健康影響への配慮が最重要となる。元素記号Hgはラテン語のhydrargyrum(液体の銀)に由来し、鉱石の主成分は硫化鉱物の辰砂(HgS)である。

基本性質

原子量は約200.59、融点は-38.83℃、沸点は356.73℃である。20℃における密度は約13.53 g/cm3と非常に大きく、鋼や銅より著しく重い。導電性は金属としては低い部類で、比抵抗は室温でおおむね10-6 Ω·mのオーダである。熱伝導率は低く、比熱も大きくはないが、液体であるため熱・物質移動の設計では対流や撹拌の寄与が支配的になる。蒸気圧は室温でも無視できず、密閉や換気設計を怠ると蒸気暴露の危険が高まる。

表面・流体としての挙動

表面張力が非常に高く、球状にまとまりやすい。ガラスや多くの無機材料を濡らしにくいため、毛細管中でメニスカスが安定し、気圧計・流量計の基準流体として活用された歴史をもつ。粘度は水より高いが、液体金属としては扱いやすい範囲であり、温度上昇で大きく低下する。配管・容器の設計では比重負荷を考慮した支持、溶接部への打撃荷重、スロッシング抑制が必要である。

化学的性質と酸化数

安定な酸化数は+1(ジ水銀イオンHg22+)と+2である。金属単体は多くの酸・アルカリに対して不動態的に振る舞うが、ハロゲンや硫黄とは反応しやすい。代表的な化合物として、酸化第二水銀HgO(赤色または黄色)、塩化第二水銀HgCl2(昇汞)、塩化第一水銀Hg2Cl2(甘汞)、硫化水銀HgS(辰砂、α相の朱色とβ相の黒色)がある。HgOは加熱で分解し酸素を放出する。HgCl2は強毒性・腐食性を示し、Hg2Cl2はカロメル電極の反応系に用いられる。

アマルガム形成

水銀は金・銀・亜鉛・ナトリウムなど多くの金属を溶解しアマルガムを作る一方、鉄やプラチナとはアマルガムを作りにくい。アマルガム形成は歯科材料や金精錬で歴史的に用いられたが、毒性の観点から代替材料の採用が進んだ。電気化学では水銀プール電極、カロメル電極が参照電極として重要である。

鉱石・製錬

主要鉱石は辰砂(HgS)で、焙焼により二酸化硫黄を発生しつつHg蒸気を放出させ、凝縮して金属水銀を得る。現代では排ガスの脱硫・除去、ダスト回収、二次封じ込めなど環境負荷低減設備が不可欠である。スクラップや廃蛍光灯・計測器からの回収も重要な資源循環ルートであり、密閉破砕・吸着・冷却凝縮の工程管理が求められる。

用途と技術的応用

  • 計測:気圧計、マノメータ、温度計(歴史的用途)。液柱の安定性と体膨張の直線性が利点である。
  • 光源:低圧水銀放電を用いた蛍光灯や水銀灯。発光スペクトルをリン光体で可視域に変換する。
  • 電気化学:整流器(歴史的)、参照電極(カロメル)、電解(旧来の塩素・苛性ソーダの水銀法)。
  • 真空技術:拡散ポンプ作動流体としての利用(現在は代替流体が主流)。
  • 合金・材料:アマルガムの利用は縮小し、代替材料や封入技術への置換が進む。

分析・測定法

微量分析では還元気化原子吸光(CVAAS)や原子蛍光(CVAFS)、ICP-MSが広く使われる。水質・排水の規格では前処理による酸化還元制御と気化導入が要点である。国際的にはISO 12846(水質中のHgのAAS法)、国内ではJIS K 0102(工場排水試験方法)等が参照される。試料採取は汚染・損失を避けるため清浄な器具、遮光、酸による保存が基本である。

毒性・リスク管理

金属単体の経口毒性よりも、金属蒸気の吸入とメチル水銀の生体蓄積が重大である。メチル水銀は食物連鎖で濃縮し、中枢神経系障害や胎児への影響を生じる。作業環境では密閉化、局所排気、連続モニタリング、こぼれ対策(硫黄粉などによる固定化)、廃液のキレート・硫化処理が基本である。皮膚からの吸収や金属の微滴散逸を避けるため、適切な手袋・保護眼鏡・防護衣を用いる。

規制と国際枠組み

水銀(Hg)の製造・輸出入・使用・貯蔵・廃棄は各国法規と国際条約で厳格に管理される。2013年に採択された水俣条約は、特定用途製品の製造・貿易の段階的廃止、排出・放出の抑制、汚染サイトの管理、廃棄物の環境上適正な管理を求める枠組みである。事業者は適用範囲を確認し、代替技術の導入、SDS・ラベリング、記録保存を徹底する。

歴史的背景

古代から賢者の石の伝承や錬金術と結びつき、中世ヨーロッパでは顔料朱の原料、東アジアでは薬用素材として扱われた。近代工業では計測・電解・光源で不可欠の材料となったが、環境汚染の教訓を経て規制と代替が進展し、用途は高度管理領域へと収斂した。

設計・運用上の要点

  1. 封じ込め:二重容器や二次堰、床面の液溜まり抑止形状を採用する。
  2. 換気:発生源近傍の局所排気と漏えい検知を組み合わせる。
  3. 材料選定:鉄鋼は濡れにくく容器材として適するが、アマルガム形成金属の混用を避ける。
  4. メンテナンス:回収・再封入の手順標準化、吸着材や回収キットの常備。
  5. 教育:曝露リスクと緊急時対応の訓練、記録管理の徹底。

データと識別情報

CAS RNは7439-97-6、一般名は英語でmercury、古名はquicksilverである。代表的な安定同位体として196Hg、198Hg、199Hg、200Hg、201Hg、202Hg、204Hgがあり、核スピン1/2の199HgはNMR・磁気計測の基準に利用される。輸送・保管では毒性物質および危険物としての管理区分に従い、破損・漏えい時の応急措置と環境流出防止を最優先に計画することが求められる。