木綿|栽培と機織が支えた庶民の定番の布

木綿

木綿はアオイ科ワタ属の種子毛からつくる天然繊維であり、撚糸・織布・染色を経て日常衣料や寝具、袋物など広範に用いられてきた素材である。繊維は中空で吸湿性と通気性に富み、肌合いが柔らかく耐久性も高い。古代のインドや西アジアで早くから栽培と紡織が発達し、交易路を通じて東西世界へ広がった。日本では中世後期から近世にかけて普及が加速し、衣生活と地域経済の構造を大きく変えた素材として位置づけられる。

定義と性質

木綿は種子を覆う繊維を収穫し、脱脂・打綿・紡績を経て糸としたのち織物に仕立てる。繊維長は品種や栽培条件に左右され、長繊維種は細番手に適し、短繊維種は太番手に向く。吸湿性は快適性を、耐熱性は煮洗い・晒し・藍染などの加工適性を支え、家庭内の洗濯反復にも耐える点が衣料素材としての強みであった。

世界的起源と伝播

インド亜大陸では古くからワタ栽培と紡績技術が成熟し、海陸の交易によってペルシア湾・紅海・東南アジア・中国沿岸へと流通した。唐宋期の中国で生産が拡大し、明清期には国内各地で綿織物の産地分化が進む。こうした広域流通は、のちの東インド会社の参入によって世界市場の中で再編され、綿布が大量に移動する近世的な商圏を形成した。

日本への受容と普及

日本では中世後期に綿作が各地で試みられ、近畿・東海・瀬戸内など温暖地で栽培と紡織が定着した。安土桃山期には諸都市の需要増に支えられ、近世に入ると流通網と年貢・運上の体制整備により、反物は全国へ出回る。政治統合の進展とともに市場も安定し、衣料素材としての木綿は急速に日常化した。

近世の生産・流通

江戸時代には在郷の農家が農間余業として綿作・紡績・機織を担い、都市の商人が原料・糸・布を統合して商内配分を管理した。産地は伊勢・三河・河内・播磨などに広がり、糸買い付けと晒・染を分業化することで品質を均質化した。舟運・陸運の発達は反物の回転を高め、商圏は城下町から港町へと接続した。

衣生活と文化

木綿は肌着・小袖・作業着・寝具に広く用いられ、晒や藍による多様な意匠が生まれた。日常衣料としての普及は季節ごとの着装慣行を変え、洗濯・仕立て直し・綿打ち直しなど家内技術を発達させた。都市では職人・商人の町人文化と結びつき、意匠・流行の更新が反物売買を促進した。

政治と経済の枠組み

近世国家は綿花や綿布の流通を諸座・市場規制・運上で把握し、藩領内では専売・保護策が講じられた。統一政権の成立により江戸・大坂を中心とする大市場が形成され、為替・掛取引の発達が卸売を支えた。為政者の経済運営は産地の発展と課税基盤の拡充に直結し、社会階層の分化を進めた。

国際関係と市場圧力

アジアの綿布は、明代から清代にかけて世界の銀流入と結びつき、国際商人の手で広域に流通した。近世ヨーロッパ勢力の台頭は交易構造を変化させ、東アジアの産地もその影響下で再編を迫られた。中国の流通ではからへの体制移行、日本では戦国の流通秩序が再構築され、やがて織田信長豊臣秀吉徳川家康の時代を経て安定的な大市場のもとで木綿の一般化が完成した。

技術と品種

品種は長繊維・中繊維・短繊維に大別され、土壌・水はけ・積算温度が収量と品質を左右する。綿弓による打綿、撚糸の均一化、織機の改良、晒・藍染の工程管理などが品質を向上させ、産地間競争を通じて規格が形成された。これらの技術は家内生産の熟練に支えられ、地域ごとの得意と結びついて特産の銘柄を生んだ。

社会構造への影響

木綿の普及は農家の副業化と女性労働の可視化を進め、家計に現金収入をもたらした。質流れ・仕立て直し・古着流通の拡大は都市と農村を結び、金融・運送・小売のネットワークを拡張した。大量の需要を背景に、都市社会の同業集団や市場慣行が成熟していく。

語彙・呼称

日本語では綿(わた)と木綿の表記が併用され、布地を綿布・木綿布、糸を綿糸、原料を綿花と呼ぶ。晒して白布とし、藍で先染・後染を施す語彙体系は、反物売買や目録・商記録にも反映した。

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